岩倉玲音共和国

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 昔のアニメの寂しいところは、そのアニメの聖地が存在しないところだったり、遠い場所の人同士が気軽につながることのできるネットサービスが存在しなかったことでアニメの話題をみんなで幸福に共有できなかった点です。たぶんserial experiments lainという作品を、当時の多くのオタクな人達は孤独に楽しんだのだと思う。なんとlain放送当時の1998年には2chすら無かったという!

 「どこにいたって、人は繋がっているのよ」とレインは言うけれど、当時のlainオタクの人々は深夜のブラウン管テレビの前で孤独に燃えて、その多くはこのSNSの時代を迎えることのないまま冷めてしまったのだと思う。悲しいことです。(もう少ししたら2chが現れるじゃないか、という反論があるかもしれないけど、ぼくの記憶では、2chは話し合いや話題の共有の空間というよりは人々が互いに主義主張を手に殴り合いをしている野蛮な場所で、とてもじゃないけど人が繋がる場所とは思えなかった。)

 先日「visual experiments lain」という本を取り寄せてみた。やはりlainは理解できないんだけど、おおよそ20年前の、昭和と現代が奇妙に混じり合った社会の芳香を感じ取ることができてとてもよかった。おそらく、90年代は今からでは想像しがたいほど人々の関心や趣味が画一的な時代で、なんだかあの頃は本当に人々は繋がっていたんじゃないかと訝る程度にみんな似たような存在だったように思える。なので、そんな世界の深夜のブラウン管からずぶずぶとあのようなアニメが這い出てきたことに奇妙な必然性を感じる。

 ところで、オタクの人々がアニメで得た感情を共有できる場として聖地が存在することはとても幸せなことだと思う。やはりそういった場所は、できるかぎり楽しむほうが、普段孤独の世界に耽溺しているオタクの人ならなおさら良いと思う。

 そしてなにより、現代にはtwitterという素晴らしいツールが存在するので、気軽にオタクの人がオタクの人とつながることができます!

 なので、あんまりこの記事には関係がないんだけど、今度富山の城端という町で年に一度の巡礼祭があるので、ゼロ年代PAワークスファンの人たちはみんなで訪れてほしいと思います!