ジョージ・オーウェル「ビルマの日々」

 旅行記事に限定するとブログの更新頻度が著しく低減する事実を憂慮し、ここを読書日記場として活用することにした。

第一弾は私の敬愛する作家の一人であるジョージ・オーウェルの「ビルマの日々」である。

 掲題のジョージ・オーウェルの書物は市井で手に入れることが難く、長らく切望しながら読むことが叶わなかったのだが、最近引越してきた街の近所に品揃えの頗る良い図書館が在り、偶然読了の機会を得た為之を記す。

 本作は大英帝国の官憲を勤めていたジョージ・オーウェルが英領インドの属国ビルマ(現在のミャンマー)に赴任した際に得た体験をもとに記述された小説である。歴史上に燦然と輝く様に映る大英帝国の威光は遠く東南アジアの地の現実で如何なる形相にあったのか?

 本作を通してまず感じ取る事は、東南アジアの湿っぽく剛毅な自然の美しさと、遠方から到達した白人達に容赦なく襲い掛かる熱病と憂鬱、倦怠の著しいコントラストである。主人のフローリーは、この熱帯樹林の繁茂する、雨音と日射の美しい、異教徒の国に共感し、心を大きく寄せているが、一方で白人である自身をどうしてもそこに完全に融和することができない。顔つきと、肌色が違うのだ。雨に対する耐性が大きく異なる。ビルマ人はこの地で、雨の和らぐ季節に田植えを行い、常に在る湿気と共に確固たる生活を悠久の中で身に着けている。自然と密着し、しなやかなのだ。しかし白人連中は毎日クラブに入り浸りウイスキーとビールを精神を鈍麻させるために呷ることで強烈な汗疹に耐える苦役を共にしている。そこに生活がないのだ。

 フローリーは35歳程度の、本国ではうだつの上がらぬ凡人で、顔に痣があり、ビルマ人の妾マ・ラ・メーを囲い、インド人のベラスワミと、華僑と親密にする。異人への抵抗感が元来薄いのだ。そこが彼の数少ない美徳である。

 ビルマ人は、そこに大勢いるはずだが、フローリーを含めた英国本国の白人とはどこまでも平行線で、それらの人脈は一致せず、物語に与える濃度も希薄だ。本作は大英帝国の「栄光」に縋ろうとする哀れなアジア人2人と、大英帝国の現実を暗喩する失墜した白人達の物語である。

 ビルマ人の治安判事ウ・ポ・チンは競合する相手を徹底的に貶めて権力を掌握する志向を持った野性的な人物で、一方のインド人医師ベラスワミは善良だが英国人に対してどこまでも卑屈であり、他者の攻撃に只管忍耐する事でその徳性を維持する、戦う術や知恵を持たぬ人だ。本作はウ・ポ・チンの奸計に飲み込まれるフローリーとベラスワミを描く中で、その人間の愚かな権力闘争に対して超然と輝く大自然を効果的に描いている。この筆致はどこか1984を思い出すもので、懐かしくなった。オーウェルは人間の悪意を描く点、そしてそれが実は何でもないように見せかける点においては一級の作家だと再認識する。

 オーウェル自身は白人なので本作は白人の描写に焦点が当てられている。ビルマ植民地支配は当地チャウタダ(架空のビルマ地名)の白人クラブの密室で行われる。メンバーのエリスはアジア人を徹底的に忌避するレイシストで、彼が在席する場においては、我々アジア人が読むに堪えぬ有様の描画が連発する。紳士的なマグレガー、好色のラッカースティーン、その人を叔父に持つエリザベスの人間模様も、やはり被支配層たる外部の世界とは相容れぬ。特に途中で現れて物語の本筋には関係のない場所を徹底的に荒らす騎兵中尉閣下べロールは見所だ。大英帝国の貴族の末子は、銭を全て自身の装飾のために用い、借金を踏み倒す、少女を弄ぶ、偏屈であり、そして傲慢である。彼は同類の騎兵憲兵の男以外の全てを見下している。同じ白人連中ですら無視するといった有様だ。

 フローリーは未熟な人間であるが、エリザベスを通して成長しようとする。しかしアジア人と白人の間で揺れ、何方につくか明瞭としないため、彼の物語はぼんやりと焦点が定まらぬ。しかし切迫感や熱帯の熱病の中、だんだんと彼の目的は柔軟性が失われ、切り倒され乾燥した巨木の如く硬直化し死骸となっていく、

 熱帯の湿気からくる汗疹にやられたまま、破れかぶれで長年の妾を追放し、ベラスワミを擁護しエリスと決然と戦い、エリザベスに結婚の申込を企てるが、それが彼の人生に大きく作用し、ある重要な結末を与える。

 植民地支配が非人間的な作用によって駆動する巨大な仕組みだとすると、それは被支配民族のみならず支配階級をも強く抑圧する機構になるのだと思う。妾であったマ・ラ・メーは放逐された後にフローリーに怨念と金銭の催促のみを残す。それは人間の関係ではない。犯罪という現象が罪人のみならず警察権力者の双方に作用するように、植民地支配の傷は白人も絶えず受けている。一体、このビルマの生活に何の意味があるのだろう。そういう征服行為の虚しさをオーウェルは描きたかったのだと思う。

 しかし、かような暗い物語を知っていても、私は大航海時代の欧州人になりたいと思う。チンギス・カン直後のモンゴル人に生まれてみたかったと思う。愚かな日露戦役の時代に生まれてみたかったと思う。

世界を支配するべく横断する自由は、腐臭に耐える生活を凌駕するのかもしれない。ビルマの日々に出てくる人物は常にアルコールか、レモンスカッシュを嗜んでいる、あるいは麻薬替わりにしている。茶のような薬にも毒にもならぬ飲み物は徹底的に忌避されているのだ。

そこに神はいないが、私たちが知っているように、平和な現代社会にも同様に神は不在なのだから。