島田荘司「占星術殺人事件」

 本作の登場は私が生まれる少し前にまで遡ることになるが、私がこうやって手に取るのはそこから43年も過ぎた現在である。小説は、そういうところが面白いと思う。媒体の性質として流行に疎い。そうやって人と作品を長い年月を隔てて容易に結び付ける。

 奇しくも本作を彩る大事件も、小説中に於いて43年前に遡ることになるらしい。

 「占星術殺人事件」のトリックはミステリファンの間では非常に有名であり、私も実は過去にネタバレに近いものを踏んでしまっているので、長らく忌避していたのだが、ふとしたきっかけで読了する切っ掛けを得た。感想としては、やはり良いミステリはトリックが分かっていても面白いものなのだ。優れた歴史小説が、有名な史実通りに事が進むのにも関わらず人の関心を強く惹きつけるように。「モナリザ」の絵をあらゆる媒体でその構図を子細に了解しているにも関わらず、実物を前にすると唯々跪くように。

 物語は異常な男の、異常な手記によって幕を開ける。ここでまず、何か尋常ではないオーラを感じる。時は戦前の日本。その手記の中で、画家の梅沢平吉なる人物は実の娘6名を殺害し、完璧な「人間」を作る計画を立てるのだ。曰く、人には生まれた年月に呼応する守護惑星がただ一つ割り当てられ、その惑星によって人間は自身の一部位が強めらる。もしこの部位を集め、一つの「人間」を作りだすことができれば、それは完璧な「作品」=「アゾート」となる。偶然にも平吉の娘たちは、この強められる部位が各々異なるため、完璧な「アゾート」を完成させる材料となりうるのだ。例えばこのようにして平吉の手記は殺しの算段とその始末の方法、そして殺しまでの理屈を子細に書き留める。アゾートを飾る場所、娘達を埋める場所やアゾートを完成させる地点も平吉の考えた占星術錬金術の理論によって深く考慮され、そして決定される。ここのレトリックがまず美しい。島田荘司占星術錬金術への造詣の深さがこの物語の根幹であり、名作たらしめる最大の要素だろうと私は思う。そして、占星術殺人事件を読了した貴君なら次の事柄を理解すると確信する。即ちこの小説は平吉の手記の異常性と気迫によって多くのミスリードを数々の挑戦者に与え、そうして挑戦者を撃沈していった。この手記は冒頭に持ってくるしかない。他の位置ではダメなのだ。まず御手洗が登場したり、石岡君との平和な会話で幕を開けたり、飯田美沙子が御手洗の元に相談に訪れたり、京都の街並みが現れたりしてはいけないのだ。そういう諸々の構造美がミステリとしての完成度にも寄与しているのがとても良いと思う。

 御手洗潔は探偵の太祖たるシャーロック・ホームズをバカにする様ないけ好かないルンペン風の野郎だがどこか妙な人望というか名声があり、やがて本件の事件の解決を依頼される。石岡君はそんな変人の御手洗にどこか惹かれ、一緒に暮らす仲だ。

 本作では多くの人間が殺されることになる。その大事件は大きく分けて3つの事件に分けられるように思う。それらを分析すると、どうも計画性の強い犯罪のため、単独犯人説が強く支持されるが、しかし単独犯と仮定すると、どうにも辻褄が合わない。犯人は男のようでもあり、女のようでもある。一人のようであって、集団のようである。また、それぞれの事件の一貫性が曖昧で、同じ軸の上にある犯罪であることをどうしても疑わざるを得ない。

しかも存命中の、梅沢家と関わりのある人間には全員アリバイがあり、そこに犯人はいないように思う。霧のように、つかみどころがない事件なのだ。というのも、平吉の手記をおおよそなぞる形で娘達は殺され、解体され、遺棄されるのだが、肝心の平吉はその前に殺害されている。

様々な事件の矛盾を解消するよう努力すると、これは異常な男が亡き後に霊となって娘たちを殺したようにしか思えない。そういう怪事件を、占星術師の御手洗潔が探偵となり、犯人を捜す思考の旅を始める。

 御手洗の華麗な推理は即座に事件というヴェールを解体していくが、どれも真理に到達しているようでいてまるで見当はずれの方向に向いているようにも見える。必ず矛盾が発生するのだ。御手洗はそういう事態にもがき苦しむのだが、初めの重要な一点で、ボタンの掛け違えが発生していると、やがて直感する…

 

 物語の最後に御手洗が指摘しているように作中において所々に殆ど解答と言って差し支えない重大な描写やヒントがあからさまに読者に提示されているが、ボタンの掛け違いがあまりにも強烈なため多くの読者がそれに気が付くことができない。ここがうまいなと思う。最後の御手洗と犯人の会見も良い。犯罪という行為は犯罪者だけが直面するものだと一見錯覚するが、実際はそれを追う探偵や警察も強く犯罪に直面し、影響されている。本作では、自殺と見せかけたほうがよっぽど良いはずのある事件が、明らかに他殺で始末されている。そういうミステリにありがちな矛盾も、最後にしっかり回収されているのもよい。犯罪行為を咀嚼することで御手洗は犯人の心理に真に差し迫っている。

 なぜか最後は京都オフ会めいた描写が始まったり石岡君が明治村に走ったりして若干シュールな気がする。

 

 

ジョージ・オーウェル「ビルマの日々」

 旅行記事に限定するとブログの更新頻度が著しく低減する事実を憂慮し、ここを読書日記場として活用することにした。

第一弾は私の敬愛する作家の一人であるジョージ・オーウェルの「ビルマの日々」である。

 掲題のジョージ・オーウェルの書物は市井で手に入れることが難く、長らく切望しながら読むことが叶わなかったのだが、最近引越してきた街の近所に品揃えの頗る良い図書館が在り、偶然読了の機会を得た為之を記す。

 本作は大英帝国の官憲を勤めていたジョージ・オーウェルが英領インドの属国ビルマ(現在のミャンマー)に赴任した際に得た体験をもとに記述された小説である。歴史上に燦然と輝く様に映る大英帝国の威光は遠く東南アジアの地の現実で如何なる形相にあったのか?

 本作を通してまず感じ取る事は、東南アジアの湿っぽく剛毅な自然の美しさと、遠方から到達した白人達に容赦なく襲い掛かる熱病と憂鬱、倦怠の著しいコントラストである。主人のフローリーは、この熱帯樹林の繁茂する、雨音と日射の美しい、異教徒の国に共感し、心を大きく寄せているが、一方で白人である自身をどうしてもそこに完全に融和することができない。顔つきと、肌色が違うのだ。雨に対する耐性が大きく異なる。ビルマ人はこの地で、雨の和らぐ季節に田植えを行い、常に在る湿気と共に確固たる生活を悠久の中で身に着けている。自然と密着し、しなやかなのだ。しかし白人連中は毎日クラブに入り浸りウイスキーとビールを精神を鈍麻させるために呷ることで強烈な汗疹に耐える苦役を共にしている。そこに生活がないのだ。

 フローリーは35歳程度の、本国ではうだつの上がらぬ凡人で、顔に痣があり、ビルマ人の妾マ・ラ・メーを囲い、インド人のベラスワミと、華僑と親密にする。異人への抵抗感が元来薄いのだ。そこが彼の数少ない美徳である。

 ビルマ人は、そこに大勢いるはずだが、フローリーを含めた英国本国の白人とはどこまでも平行線で、それらの人脈は一致せず、物語に与える濃度も希薄だ。本作は大英帝国の「栄光」に縋ろうとする哀れなアジア人2人と、大英帝国の現実を暗喩する失墜した白人達の物語である。

 ビルマ人の治安判事ウ・ポ・チンは競合する相手を徹底的に貶めて権力を掌握する志向を持った野性的な人物で、一方のインド人医師ベラスワミは善良だが英国人に対してどこまでも卑屈であり、他者の攻撃に只管忍耐する事でその徳性を維持する、戦う術や知恵を持たぬ人だ。本作はウ・ポ・チンの奸計に飲み込まれるフローリーとベラスワミを描く中で、その人間の愚かな権力闘争に対して超然と輝く大自然を効果的に描いている。この筆致はどこか1984を思い出すもので、懐かしくなった。オーウェルは人間の悪意を描く点、そしてそれが実は何でもないように見せかける点においては一級の作家だと再認識する。

 オーウェル自身は白人なので本作は白人の描写に焦点が当てられている。ビルマ植民地支配は当地チャウタダ(架空のビルマ地名)の白人クラブの密室で行われる。メンバーのエリスはアジア人を徹底的に忌避するレイシストで、彼が在席する場においては、我々アジア人が読むに堪えぬ有様の描画が連発する。紳士的なマグレガー、好色のラッカースティーン、その人を叔父に持つエリザベスの人間模様も、やはり被支配層たる外部の世界とは相容れぬ。特に途中で現れて物語の本筋には関係のない場所を徹底的に荒らす騎兵中尉閣下べロールは見所だ。大英帝国の貴族の末子は、銭を全て自身の装飾のために用い、借金を踏み倒す、少女を弄ぶ、偏屈であり、そして傲慢である。彼は同類の騎兵憲兵の男以外の全てを見下している。同じ白人連中ですら無視するといった有様だ。

 フローリーは未熟な人間であるが、エリザベスを通して成長しようとする。しかしアジア人と白人の間で揺れ、何方につくか明瞭としないため、彼の物語はぼんやりと焦点が定まらぬ。しかし切迫感や熱帯の熱病の中、だんだんと彼の目的は柔軟性が失われ、切り倒され乾燥した巨木の如く硬直化し死骸となっていく、

 熱帯の湿気からくる汗疹にやられたまま、破れかぶれで長年の妾を追放し、ベラスワミを擁護しエリスと決然と戦い、エリザベスに結婚の申込を企てるが、それが彼の人生に大きく作用し、ある重要な結末を与える。

 植民地支配が非人間的な作用によって駆動する巨大な仕組みだとすると、それは被支配民族のみならず支配階級をも強く抑圧する機構になるのだと思う。妾であったマ・ラ・メーは放逐された後にフローリーに怨念と金銭の催促のみを残す。それは人間の関係ではない。犯罪という現象が罪人のみならず警察権力者の双方に作用するように、植民地支配の傷は白人も絶えず受けている。一体、このビルマの生活に何の意味があるのだろう。そういう征服行為の虚しさをオーウェルは描きたかったのだと思う。

 しかし、かような暗い物語を知っていても、私は大航海時代の欧州人になりたいと思う。チンギス・カン直後のモンゴル人に生まれてみたかったと思う。愚かな日露戦役の時代に生まれてみたかったと思う。

世界を支配するべく横断する自由は、腐臭に耐える生活を凌駕するのかもしれない。ビルマの日々に出てくる人物は常にアルコールか、レモンスカッシュを嗜んでいる、あるいは麻薬替わりにしている。茶のような薬にも毒にもならぬ飲み物は徹底的に忌避されているのだ。

そこに神はいないが、私たちが知っているように、平和な現代社会にも同様に神は不在なのだから。

 

 

アメリカ西海岸の思い出

 先月、アメリカへ行ってきたのでブログを書くことにした。

 ついに日本のコロナ規制が緩和され海外渡航の機運が高まってきた中での遠出なのでコロナに起因する面倒事は当初懸念していたよりは随分少なかったと思う。アメリカ入国においては誓約書やワクチン接種証明書の準備がプラスアルファされた程度のようだ。

 

 羽田からカリフォルニア国際空港まで8時間少々の旅路を経て太平洋の向こうの大陸に到着した。ところで飛行機の窓から見下ろす地上の様子は国ごとに大きく異なる。台湾などのアジア圏では密集した住宅街を縫って緑色のうつくしい田んぼがそこに調和しているものだが、ここアメリカでは民家が大自然の荒野にポツポツと並び、ゆったりとした空間を楽しむ人々の生活の蓄積がアクセントのように大地を彩っている。ああ、ユーラシアの東側とは全く別の世界にやってきたのだなあ、と感慨に浸る瞬間の一つが窓の景色だった。

 空港に到着すると入国審査があるのだが、こちらの人間は村上春樹が言及している通り、非常にマッチョな文化性を帯びているようで、たとえば誘導係のおばちゃんだろうが誰でも日本人の三馬力ぐらいの笑顔とジェスチャー、そして大声を備えて着実に仕事をこなしている。入国審査官も何故かやたらやる気があるようで、とある笑顔の白人の大柄の男はアジア顔の入国者に尋問まがいの質問を矢継ぎ早に繰り出している様子だ。幸い英語唖者の私は意図的かどうかはわからないが同じアジア人の寡黙な入国審査官の下に誘導され、入国の目的と滞在日数を数分簡単な単語で尋ねられた程度で無事アメリカへの入国を果たすことができた。パスポートに入国のスタンプは押されなかった。世界中の国に軋轢のあるアメリカならではの親切心だろう。

目的地はカリフォルニアではなくサンディエゴだったので、そのままdomestic lineに乗り換えた。

飛行機を待つ人々にマスクを装着している人はほとんどいない。もはやアメリカではコロナは過去のものなのだろう。誰もしていないと不思議と自分もマスクをつける気をなくしてしまうので、そこから私のマスクフリー生活が始まった。

カリフォルニアからサンディエゴまでは飛行機の旅で1時間と少々だった。アメリカ人は大柄な人間が多いせいか飛行機の座席が広く快適だった。

サンディエゴに降りるとあまりにもすばらしい快晴と快適な気候が広がっていてびっくりした。同じ太平洋に面する日本の港町の何所にも、これほど美しい太陽と海を持った場所は存在しないだろう。この素晴らしい太陽の恵みを反映してか、街を歩く人々もみな陽気に生きている様子だ。

 街を少し歩くと至る所にアメリカの国旗が翻っている。港には個人所有らしきヨットの群れが海岸線を覆っていて、その奥にはアメリカ海軍の巨大な空母や戦艦が蜃気楼の向こうに佇んでいて、超大国アメリカの繁栄を感じずにはいられない。同様の軍艦はひょっとすると横須賀や沖縄へ赴くと日本においても観測できるかもしれないが、やはり本場アメリカで本土を守る巨大なアメリカ軍の威容を前にするのとでは一味も二味も違うのではないだろうか。

 こちらではアロエに花が咲いている。

 

 CVSというアメリカのドラッグストアに寄ると黒人のドアマンが椅子に座りながらなにかこちらに訴えかけていた。どうやらドアの前で荷物をすべて置いて店内を歩く必要があるらしい。万引き対策だろうか。荷物を置いて店内を回り始めると口がだらしなく開いた太った白人の店員が何か困りごとがあったら言ってくれよと話しかけてきた。他にも色々言われたが英語唖者の私には無論なにをしゃべっているかわからない。しかし陽気なフレンドリーさを無遠慮に他人に伝えようとする意志自体は伝わってくるので日本では得られない不思議な充実感が得られる。

 

 ハンバーガーはセットで11ドルぐらい(当時1ドル=145円)。

 ハンバーガー店に入ると同行者が白人の酔っぱらいに絡まれた。入店してくるなり彼はこちらの顔をガン見して迫ってきたので非常に迫力があったが、特にひどい言葉を投げかけられることなくその場をやり過ごすことができた。しかし間髪いれずホームレス然としたヒスパニック系の壮年の男がやってきて同様に同行者が絡まれていた。こちらの男とは別れ際になぜか握手をすることになった。アメリカへようこそ、ということだろうか。

 

 勿論楽しい思い出ばかりではなくアジア人に対する差別と思われるシーンにも遭遇した。例えば滞在3日目のホテルのエレベーターで偶然乗り合わせた小柄な白人の女には「Disgrace」と囁かれたり(これはなかなか強烈ではないか?)、客室階の廊下で偶然居合わせた身なりが良く背の高い白人の男に挨拶したらニヒルな笑顔のまま目を逸らされてガン無視されたり、日本では味わうことのないような不快感を得るような場面もあった。

 

 サンディエゴの郊外に少し出ると、こういう雰囲気の住み心地のよさそうな住居と乾いた道路が広がっている。乾燥地帯なので植物は皆、水の恵みをよこさぬ大地に耐え忍ぶようなカサっとした質感か、あるいは守銭奴のように恵みを貯め込みブクブクに太った肉厚の皮膚と鋭い棘に覆われている。

青い空は、際限なく続いている。

 

日本でもよく見る鴨だが、一点わが国の鴨と大きく違うところがある。極端に接近しても全く逃げようとしないのだ。彼らは平然と座り寛いでいる。

数年前に赴いたイスタンブールで出会った猫の大群にも感じたことだが、大陸の動物はどこか人間を信頼しているようだ。これはそこにすむ人々の性質に由来する鷹揚さなのだろうか。我が国の人間は動物を虐めすぎているのかもしれない。

 

スーパーではトルティーヤが当たり前に売られている。

サンディエゴはメキシコ国境沿いの街なので、スペイン語も街を彩る言語のひとつだ。

顔だちもどこかメキシカンな人が多い、気がする。

 

 ある日の夜、腹が減ったのでダウンタウンを歩いていたらラーメン屋に辿りついた。

道中ではホームレスが至る所で道路を占拠しており、テントが大きく先を塞ぐ場面に幾度も出くわした。男の口から吐き出される煙草のような紫煙をくぐると、不思議なことにまるで煙草の匂いではない。日本では違法になっているような類のハッパかもしれない。街路樹の横を通ると必ずといってよいほど小便臭い。ホームレスをみると有色人種や、片腕をなくした白人が構成員のようだ。しかし誰の姿からも悲壮感のようなものを見て取ることはない(私の偏見かもしれないが)。仲間と酒の席で談笑したり、自転車を直したりして、日々の生活を謳歌しているようだ。

 話が脱線した。肝心のラーメンは一杯11ドル。ファンキーな長髪に両腕にタトゥーをいれた若い褐色の女がレジカウンターをしていたので対応してもらった。バスケが得意そうな出で立ち。同じ肌の色の人間は親切な人間が多いので安心できる。オーダー後10分ほどしてラーメンが到着。女と同様にファンキーな雰囲気の男が丼を運んできたのでthank youと伝えるとoff courseと間髪いれず返事があった。ラーメンは豚骨ベースで具材はチキンだった。チキンからは酒の匂いがした。店を見渡すと八海山と書かれた大きな酒樽が数個並んでいた。あれだな。ラーメンは美味しかった。

 

 1週間ほどの滞在だったがあっと言う間に最終日がやってきた。最後はガスランプという繁華街を練り歩く。サンディエゴは100万人程度の都市らしいが活気はコロナ前の大阪や東京の盛り場にひけをとらない。バーが何軒も連なりガラス張りの広い店内はどこも満員だ。色々な人種がそこで酒を飲み仲間と騒いでいる。勿論誰もマスクをつけていない。

 いまの日本の鬱蒼とした繁華街の景色とは全く性質の異なる夜がここでは平然と人々を支配していて永遠に続くかのようだ。

 夜のホテルの客室の窓の外からは連日ラップ音が鳴り響く。深夜での近所迷惑という概念はサンディエゴに存在しないのかもしれない。いや、おそらく、アメリカ全土に存在しないのだろう。その騒ぎはもはやこの街にすっかり板についているようで、不思議と全然腹立たしくならず、むしろ奥ゆかしい絵画がそこにあって、私は神妙な気持ちでそれを眺めるようにラップ音に絶えず聞き耳をたてている。

 

 アメリカという国の不思議さを存分に体感できた一週間だった。帰りはサンディエゴから成田への直行便だった。行きは8時間程度だったが帰りは11時間超かかった。どうやら自転とは逆方向に移動するせいで移動時間が大きく異なるらしい。

 

 アメリカでは素晴らしいこともひどいこともたくさん体験できた。

 実は着いた当初はあまりこの国に馴染めそうにないなとおもったのだが、もし英語唖者から脱することができるのなら日本の数倍楽しい人生を謳歌できるのではないだろうか、と期待してしまう。

おそらく死ぬまでにあと5回ぐらいはこの国を再訪することになるのだろう。

 

素晴らしい新世界へようこそ。

石動乃絵 in 北海道

2年ぶりに北海道を旅した。東京五輪2020のインバウンド需要をあてにして拡張された大阪伊丹空港構内の伽藍堂はとてもではないが各々の旅路を歓迎している姿をしていなかったが、とにかく空港の外では飛行機が規則正しく運行しているし、マスクで顔を防御されたANAのCAは満面の笑みをたたえた目で搭乗する客をもてなしていた。

札幌市内は蔓延防止等重点措置を根拠に、イスラム圏めいた禁酒命令が布告されていると小耳にはさんでいたので、新千歳空港に降り立ってすぐ旭川へめがけて舵を切った。

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関西を含むこの時期の西日本は鬼のような雨雲が流入し続けていて、そこでは梅雨明けの鍛えられた我々の体すら容赦なく蝕む強烈な湿気と連日の暴風雨に襲われる有様だった。一方、北海道旭川は、頭上にやんわりとした薄雲と、そのヴェールに包まれたやさしい太陽と、カラッとした大陸のような涼しげな風が大地をやさしく撫でるような幸福に満たされていて、本当に良かった。

 

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これは旭川駅構内にあった謎のオブジェ。人間のやることはよくわからない。

 

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旭川ときいてピンとくる人がいるかもしれないが、この街は日本から遠く離れた奉天・旅順に存在した日露の激戦地帯へ遠征した大日本帝国第七師団の本拠地として機能していた。

俗にいう軍事都市だ。

北海道はロシアとの綱渡りを繰り広げた軍人や、アイヌの人々が育てた土地なのでどこか異国情緒がいまだに存在していて、哀愁が漂う、ような気がする。

 

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やはり例の漫画も、活躍していた。

 

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実はこの街には山頭火という有名なラーメン・チェーンの本店がある。

来てから偶然発見した。こういうことがあるので、旅は楽しい。京都の旧三条店は残念ながら京阪駅前の再開発の最中に消滅してしまったことで長らく山頭火をご無沙汰だったので妙にうれしかった。店内はブラジル人を連想させる異国の男女が一生懸命に接客していた。

 

2日目に、北見・網走に向けて舵を切った。旭川から4時間程度の電車の旅路。

途中の駅に上川や留萌、遠軽留辺蘂といった面白い地名が並んでいた。

こちらはさらに冷涼な気候を湛えた土地なので、本当に快適だった。

北見市内は一見さびれた気配があったが駅からちょっと歩いた先にある廃墟めいたアーケードの中には繁盛した寿司屋やラーメン屋、居酒屋が点在していて、ふしぎな街だなと思った。

 

北見市内から1時間ほどバスに乗って、温根湯という寒村にキタキツネとたわむれに行った。

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かわいいね。

 

ゴールデンカムイによると、キツネは食べられるらしい。

 

キツネ村から撤退した帰路で、柵に覆われた畑を監視していた犬にめちゃくちゃ吠えられた。

こちらから犬が見えなくなるぐらい遠くへ逃げたのに、柵の向こうからずっと吠え続けていたので狂気を感じた。

おそらくキツネの匂いが、私の身体に付着していたのだろう。

 

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2日目は北見から1時間ほどかけて網走へと行った。

網走はシンエヴァの最後のシーンを彷彿とさせるような田舎の海の街という情緒があって好感度が高い。

レンタサイクルでいろいろめぐってみたいなとおもったが、残念ながら駅前にレンタサイクル屋はなかった。

 

そのまま当初の目的である網走監獄博物館へバスで行った。

進撃の巨人にでてくるような巨人が湯舟につかっていた。

 

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ゴールデンカムイの聖地なので、缶詰のアザラシカレーとか、食べられるオソマとか、愉快なお土産が並んでいたのが良かった。

 

オホーツク地方で2日ほど滞在したあとに、バスで札幌駅まで直行し、そのままANAで関西へと帰った。

大阪伊丹へ降り立った時の、あの湿気と雨にはげんなりさせられた。

日本人は、夏の北海道に疎開するべきだと思う。

サポロ・レヴァリューツィヤ(1)

シンゾ・シンタロヴィチ・アベノフ共産党書記長は、例の如く、慎重さと鈍重な威厳が絶妙に入り混じった制止と抑揚を意識して明瞭(はっきり)とこう云った。

「ですから、同胞アイヌ民族人民はですね、偉大なる革命の根拠であるソヴィエト連邦の宗主権をですね、これははっきりと、力強く、確かに認めたのであります」

記者会見の席がざわめく。日本民主社会主義共和国独特ののっぺりとして積極力の欠ける鎌と槌の腕章を身に着けたやせぎすの若い記者が、全く似合っていない厚めのネクタイを無意識にひんまげて、泡を吹いた顔を青ざめながら書記長の頬にある強い豊齢線の刻印を睨むように凝視していた。頭の中にはキリル文字で表現された借り物の言葉がひしめいている。なぜ?なぜ?という反芻。勿論彼らは漢語という堅牢な思考を軸とする和人の馴染みの言語をとうの昔に消失しているのでアベノフ書記長の言葉もこのやせぎすの記者も近代ロシア語を基礎とした寒々とした冷酷な思考の中で生きている。

記者たちの長い動揺のあと、緊張した面持ちで社会党バッチを誇らしく身に着けた肌の黒い壮年の記者が、コミュニスト独特の堅苦しい礼節を保ちながら、まるで上長に対する慇懃無礼さを前面に押し出した敬礼のあとに書記長に質問を行った。

「それでは、サポロやオタル、あるいはアバスリツクの我が同胞達の処遇は…」

書記長の顔が歪む。

「それは、それはですね…西国の憎むべき敵国、あの、かつて天皇陛下、と呼ばれたですね、ブルジョワをかくまう、反逆分子共に聞けばいい!」

アベノフ書記長の声色が、確りと変化した。

まるでかつての同僚、アソ大日本帝国首相に対する強い怒りを借り物の支配者が牛耳る言霊に纏わりつけて。

 

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 サポロの市街にはアイヌ独特の青の幾何学模様を彩どった美しいレリーフが、わずかな吹雪の舞う街灯に照らし出され、暗雲なモノトーンの街路に微小の滋養を与えている。局所的に見るとこの美しさはアラビアの荒漠とした大地に立つ荘厳な純正のモスクをも彷彿とさせる。

 「なァ、これははっきりいっておくが、同志、君は私に対して合計にして10000ルーブルの借りがあるんだ、これだけあればカーシャにシチー、それにウズベク人の調理する豪華なプロフをどれだけ腹に詰めることができると思っているんだ?私のお腹はこの通りペコペコだし、これからもそれだけの御馳走にありつく算段はないんだ、つまり君に拒否権はない」

派手なオレンジのウシャンカを深々と被って眉全体を対面者から意図的に隠し、背丈に似合わぬ大柄の濃紺の外套を深々と羽織った少女は少女らしからぬ確信と尊厳に満ちたまなざしで瓶底眼鏡の青年を糾弾していた。

「そんなことは…できない」

青年はため息を無意識の降参の合図としつつも言葉の上では抵抗する。

極東ソ連人民鉄道サポロ・スターリン記念駅(スタンツィヤ)前に広がる大広場プロシャーツィ・アイヌィの中央には対日戦争を勝利に導き、かつて北海道と呼ばれたこの大地を和人の支配から解放する契機を掴んだ"偉大な海軍人"ジノヴィー・ペトロヴィチ・ロジェストウェンスキー大将、バルチック艦隊司令官の銅像が堂々とした威風を奏で、駅前を通過するアイヌと和人で構成された人民を強圧的に見つめて続けている。中将の足元にはかつて和人が期待した男トーゴ―・ヘーハチロフが情けない恰好でひざまづいている。

共産主義様式を忠実に踏襲した大広場を帝国主義的権勢に死ぬまでしがみついた軍人が支配する奇妙な空間に溶け込む形で、そして、まるで魂を放棄した和人を証人にする形で少女はまくしたてる。

「お前はかつての日本語が話せる、ただそれだけなんだ、たったそれだけのことだが、非常に重要なことだ」

少女は北方アイヌ独特の涼しい青色の瞳で少年を射抜く。

少女はもはやこの極北の大地では絶滅したと思われた日本語を駆使して少年の魂を駆動させようと躍起になっている。ロシア語が公共語となったアイヌ・ソヴィエト社会主義共和国において日本語は名目上は保護されていたが、大地の人々は時の趨勢に呼応するようにかつての言語を捨てソヴィエト連邦の人民と同化する道を選んでいた。

「それと、アバスリツクがどう関係があるんだ」

「そうだな…わかっているじゃないか…ちょっと、そこまで一緒に歩いてくれないか」 

冬のサポロは生存に不向きだ。ロシア人も、アイヌ人も、和人も魂を永遠に凍らせる覚悟でこの土地にしがみついている。

 

未来へ、革命へ、そしてジュガシヴィリへ

 

というプロパガンダが至る所に施されている。たとえばそれはモスクワ様式の高層ビルの側面を覆う形で、またはシナゴーグ正教会あるいはテラ・シュリンのレリーフとして、そしてピーツ煮込みスープ(ボルシュ)宅配サービスセンターの広告としてみることが出来る。

 少女の背は高い。少年の頭の天辺が少女の肩をしめやかに隠す程度だ。この女の血脈はバルカンやロシアの雪原から遥々と何世代もかけて極東にあるこの島国へ届いたのだろう、と青年は思った。スラヴ系コーカソイド独特の深い眼窩とやせた頬、狼のような鋭い視線、そして突き出た鼻梁がそれを裏付ける。

 「…悪いことはしない。ただ、ちょっと不安にさせるかもしれない。それだけは事前に伝えておく…逃げないでほしい…」

先ほどまで強気だった少女のそれとは思えないほど譲歩された交渉内容に青年は戸惑った。少女の目を確かめようにも、青年の頭にも深々と食い込んだウシャンカがそれを阻む。

足取り自体は冷静に、ゆっくりと、そして確実に雪原さながらの側道を進行している。少女の足取りは確かにアイヌであった。和人はこのようにまるで日常の狩猟に赴くような足取りで雪道を進むことができない。兎(イセポ)や羆(キムンカムイ)を狩猟するごとくの進軍に青年は再び戸惑う。中央道は車道があって時折重厚な戦車や厚い装甲で武装されたトヨタ・オートモービルがゆっくりと黒煙を巻き上げながら鈍重に走行している。煙は鉄さびの粉塵のように重苦しく明瞭な質量があるようだった。本土の自動車とは明らかに異なる世界からやってきたのだと青年は感じた。

少女の口数は少ないながらも青年を安心させることに集中しているような姿勢が伺いしれた。生まれは?そうか、オカヤマか。有名な日本の神話があるクニだろ。タオニャン、だったか?酒は飲めるか?蒸留酒(ウォッカ)や麦酒(ピーヴァ)じゃなくて、本物のコメサケだ。どんな匂いと味がするんだ?和人は魚が好きだからな、きっとそういうのに合うんだろう…

 30分ほど経っただろうか、堅牢な大理石の建築物は相変わらず大通りの左右に展開されているが人影は大広場と比べてずいぶん減少し、殆ど人とすれ違うことは無くなった。

 サポロは日本統治時代に人工的に開発整備された街で、アイヌ国がソ連邦構成ニ十ケ国の一角となった現代においても路面はその形態を守り続けている。もともと碁盤目上の計画都市はソ連人民と親和性が深く、このサポロの街が整然とした純モスクワ風の都市に整備されるまでに時間はかからなかった。

いくつかの直角に交差する通りを右に左に曲がって少女の横を捕捉しつつ着いていくと、土地勘のない裏路地にやがて辿り着いた。

「知ってるか?なぜ、トーゴーは敗北したのか」

 少女は唐突に切り出す。

トーゴーは間違った決断をしてしまったんだ。ロシア帝国バルチック艦隊が香港からツシマ海峡を直進するか、それとも太平洋側からツガル海峡を迂回するか。その賭けに負けた。トーゴーはひどく常識的な判断をした。つまり、接岸できない状況下で敵国の長大な海岸線の索敵網にかからず迂回に成功し、ウラジオストクへ入港することなど不可能だと思っていたんだ。バルチック艦隊は遥々クロンシュタットから喜望峰を経由し極寒と灼熱の航海を経験し、数か月かけて極東に辿り着く。長い調整不足で船体の航行速度と大砲の練度は落ちていて、水兵の士気はまさに下り坂のどん底だろう。そんな中で思い切った迂回の判断はできない。ツシマを必ず通る。そう思ったんだ。真っ当な判断だ。だが、だからといってそれが賭けの勝利を担保する手段には決してならない。和人は、そういうところが抜けているんだな。賭けの本質を理解していない」

少女が言い終えると、裏路地にあるされびれたウォッカバルのドアの目の前にいた。

「ここへ」

少女がドアを開くと、ガソリンの匂いと、熱風、そしてアルコールの臭気が顔に飛び込んできた。

(その2へ)

goto山陰地方

GOTOキャンペーン中にgoto山陰をした。

ただし18きっぷで疲れ果てた旅路の最後にホテルの領収書はゴミ箱に捨ててしまった。大体、後で書類仕事をするなんて、それじゃまるで仕事にいったようなものじゃないか!それに、国の税金で旅行などとは、私はただの経済の循環器ですと自ら表明しているようなものなので、結局国策のGOTOとは無縁でいたいと思った…旅行とは?

 

脱線した。話を元に戻す。

山陰地方とは文字通り陰である。山陽の対である。

一方の極の対岸へゆくには、かならず大掛かりな山越えをする必要がある。

山陽からどこかしらの山陰へアクセスするなら木々と草花の茂りが眼前に迫る小道を単線電車がわずかな勾配を伴って、トロッコのような揺れを捕捉しながらゆっくりと前に進むことになる。それが山陰地方への旅路だ。時速40kmにも満たないんじゃないかと不安にさせる箱モノの乗り物に身体を委ねながら、車窓を独占し、たまに現れる小さな平野と小川、寒村が。あるいは巨大で年季の入った採掘場。

 

1)山陽道

昼下がりに移動開始。

(自宅)→京都→大阪→姫路→岡山

都市圏路線である京都姫路間について語る必要はないと思う。

姫路岡山間は予想に反してガラガラだった。

この区間は18きっぱーの間でなかなかの鬼門と噂されていたと記憶しているが、コロナの影響か岡山までの移動者は少なかった。去年までは恐らく立ち客が大勢いるほどの盛況が終点まで連続していたはずだ。

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上郡から始まる険しい兵庫越えが楽しい。

三石に到着したときの、明確に他県に侵入したという実感が18きっぱーを満足させるのだ。

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取り敢えず倉敷まで行って、街を観光して、夜に岡山へバックした。

岡山駅ではきびだんごを買って、駅前のホテルに泊まった。

 

2)山陰へ

朝から移動開始。

岡山→倉敷→新見→米子→松江

岡山から山陰に出るには伯備線に乗る。

新見でトランジット。

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なぜか牛プッシュ。

ここは特急電車が頻繁に走る幹線だからか思った以上にスムーズに移動できたと思う。それでも大体3時間ぐらい上の状況が続く。

ちなみに山陽山陰連絡線は各県の随所にあるが、例えば広島駅発のローカル線からアクセスするとこの山越えが一日イベントになるらしい。

 

米子はくたびれた街だった。死にかけた松阪屋が駅のはずれにあって、痛々しい。長年放置されたテナント募集の物件も目立つ。商店街は瀕死の状態だ。

しかし奇怪なことに米子市の人口は年々上昇傾向にあるらしい。

(家に帰った後、Wikiで調べた)

 

近くに皆生温泉という山陰では有名な温泉街があるらしいので足を運んだ。幸いバスの本数は3便/時程度でアクセスには困らなかった。

皆生は大型旅館とソープ街が奇妙に混合していて独特な雰囲気だった。これが山陰地方のトレンドなのだろうか。

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米子の駅前で寿司を食べた。おいしかった。

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夜に松江まで移動した。

 

3)長大な海岸

松江→出雲市→江津→浜田→益田

午前は松江城を観光した。

松が地名に付く通り、この街は武家の城下町で、松江城は国宝となっている。

ついこの間までは、確か国宝四天守閣といって姫路、彦根、犬山、深志(松本)を数えていたが、今はそこに松江が追加されているらしい。

知らなかった。

松江城は中々重厚な佇まいで良かった。

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正午に下関へ向かう予定だったが信号機トラブルで3時間トラップされた。

幸い松江駅にはドトールコーヒーがあったので、難を凌ぐことが出来た。

 

松江からは文字通り苦行だった。

山陰本線はここから延々と海岸線沿いを走るので、一見みどころなのだが、日本海の殺風景は4時間もの閑暇を満たすには不足だ。なにより、待ち合わせがとにかく多い。だいたい5駅に1回ぐらいある、それに山陰地方は駅間距離が長く7分~10分ぐらいなので、駅での対面電車待機時間もだいたいその程度になる。

そして、海岸線の隣はとにかく山だ。

中国地方の山を越えると、平野が広がっていると多くの人が考えているかもしれないが、実際は山を越えると海へまっさかさまなのだ…

 

ケツが痛くなってきた頃に益田についた。

時刻はだいたい午後7時。

上記の通り電車が遅れた影響で益田では即座に山口線山陰本線の連絡電車があったが、私はこれをトイレの為に見送ってしまった…

時刻表を見ると、次の電車は翌日であった。

※21時東萩行きに乗ると泊まる場所に難儀する可能性があった。

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益田駅前は本当に小規模な街で、大変寂しい思いをしたが、幸いポツンとある駅ビルに大阪王将が入っていて、助かった。

欧州に長く住む日本人は和食や中華料理の店を大変恋しがるらしいが、私はまさにその状態であった。

 

大阪王将の店内では、壮年の男が「あいつは女を知らんから、仕事もできんのや!」といきまいていた。

 

今日は疲れたので同じ駅ビルのホテルに泊まった。

このホテルはモーリスホテルという、小規模なチェーンホテルだが、洗濯機と乾燥機を回すのがタダで、大変良心的だった。

ぜひ益田にトラップされた際はお薦めしたい。

 

4)山陽へ、そして関西へ

益田→山口→新山口→下関→新山口→岩国→広島→新大阪→京都→(自宅)

夜のホテルで山口線と山陰線の二択を考えたが、山陰線のルートはただの苦行だったので除外した。

なにしろ特急列車の設定すらないホンモノの辺境なのだ。目の前は山口県境なので下関まであともうすぐのように思えるのだが、ジョルダンの時刻表を追いかけると5時間もかかることが発覚した。

一方山口線は7時の普通電車を逃すと次は11時なのだ。その次は夕方16時。そのかわり終点までそれほどかからない。

 

結局山口線の特急スーパーおき(9時益田発)で新山口までワープすることにした。

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この電車は振り子式?という珍しいタイプの電車らしいが私にはよくわからなかった。もうすぐ引退するらしいので、乗る価値はあったと思いたい。

新山口駅で懐かしの山陽ラインへ戻ってきた…

超大な列車、豊富なダイヤの設定、大勢の人間…山陰に居た日数はわずか2日間だったが、なんだか懐かしかった。

 

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下関では長年参拝したかった赤間神宮へと足を運んだ。

ここには平家物語関連の豊富な資料や平家の墓地があり、マジモノの壇ノ浦クライシスに想いを馳せることができる。

非常に良かったので、今回の旅行先の中では最もリコメンドしたい。

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下関の食堂で刺身定食をたべた。

関西ではありえない美味しさだった。

 

やたらと多い河豚プッシュ。

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下関から岩国までは18きっぷで移動したが、今日の朝のワープで心が敗北したようで、広島駅中でお好み焼きとビールを腹に入れ込んだ後、気が付いたら新大阪行きの新幹線の切符ともみじ饅頭のおみやげを手にぶらさげていた。

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新幹線で山陽道を爆走しつつ食べるもみじまんじゅうは美味しかった。

 

それにしても米子発ルートだったのにも関わらず、山陰本線は疲れた。

京都下関を走破するには18きっぱーレベル8(10段階)は必要だと思う。

 

C97_灰羽連盟同人誌の宣伝

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事後ですがC97の1日目に新刊出していました。

灰羽連盟本です。

@S_yasuhiraさんの素晴らしい作品などが掲載されていますので、是非手に取ってみてください。

今後もグレードアップして新刊を出していく予定ですので、どうぞよしなに。

 

新刊はメロンブックスさんに通販で取り扱っていただいております。

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=613801

 

最近は漫画メインで活動していますが、時々小説や評論にシフトして参加したいと思っています。

 

今後ともよろしくお願いします。