アメリカ西海岸の思い出

 先月、アメリカへ行ってきたのでブログを書くことにした。

 ついに日本のコロナ規制が緩和され海外渡航の機運が高まってきた中での遠出なのでコロナに起因する面倒事は当初懸念していたよりは随分少なかったと思う。アメリカ入国においては誓約書やワクチン接種証明書の準備がプラスアルファされた程度のようだ。

 

 羽田からカリフォルニア国際空港まで8時間少々の旅路を経て太平洋の向こうの大陸に到着した。ところで飛行機の窓から見下ろす地上の様子は国ごとに大きく異なる。台湾などのアジア圏では密集した住宅街を縫って緑色のうつくしい田んぼがそこに調和しているものだが、ここアメリカでは民家が大自然の荒野にポツポツと並び、ゆったりとした空間を楽しむ人々の生活の蓄積がアクセントのように大地を彩っている。ああ、ユーラシアの東側とは全く別の世界にやってきたのだなあ、と感慨に浸る瞬間の一つが窓の景色だった。

 空港に到着すると入国審査があるのだが、こちらの人間は村上春樹が言及している通り、非常にマッチョな文化性を帯びているようで、たとえば誘導係のおばちゃんだろうが誰でも日本人の三馬力ぐらいの笑顔とジェスチャー、そして大声を備えて着実に仕事をこなしている。入国審査官も何故かやたらやる気があるようで、とある笑顔の白人の大柄の男はアジア顔の入国者に尋問まがいの質問を矢継ぎ早に繰り出している様子だ。幸い英語唖者の私は意図的かどうかはわからないが同じアジア人の寡黙な入国審査官の下に誘導され、入国の目的と滞在日数を数分簡単な単語で尋ねられた程度で無事アメリカへの入国を果たすことができた。パスポートに入国のスタンプは押されなかった。世界中の国に軋轢のあるアメリカならではの親切心だろう。

目的地はカリフォルニアではなくサンディエゴだったので、そのままdomestic lineに乗り換えた。

飛行機を待つ人々にマスクを装着している人はほとんどいない。もはやアメリカではコロナは過去のものなのだろう。誰もしていないと不思議と自分もマスクをつける気をなくしてしまうので、そこから私のマスクフリー生活が始まった。

カリフォルニアからサンディエゴまでは飛行機の旅で1時間と少々だった。アメリカ人は大柄な人間が多いせいか飛行機の座席が広く快適だった。

サンディエゴに降りるとあまりにもすばらしい快晴と快適な気候が広がっていてびっくりした。同じ太平洋に面する日本の港町の何所にも、これほど美しい太陽と海を持った場所は存在しないだろう。この素晴らしい太陽の恵みを反映してか、街を歩く人々もみな陽気に生きている様子だ。

 街を少し歩くと至る所にアメリカの国旗が翻っている。港には個人所有らしきヨットの群れが海岸線を覆っていて、その奥にはアメリカ海軍の巨大な空母や戦艦が蜃気楼の向こうに佇んでいて、超大国アメリカの繁栄を感じずにはいられない。同様の軍艦はひょっとすると横須賀や沖縄へ赴くと日本においても観測できるかもしれないが、やはり本場アメリカで本土を守る巨大なアメリカ軍の威容を前にするのとでは一味も二味も違うのではないだろうか。

 こちらではアロエに花が咲いている。

 

 CVSというアメリカのドラッグストアに寄ると黒人のドアマンが椅子に座りながらなにかこちらに訴えかけていた。どうやらドアの前で荷物をすべて置いて店内を歩く必要があるらしい。万引き対策だろうか。荷物を置いて店内を回り始めると口がだらしなく開いた太った白人の店員が何か困りごとがあったら言ってくれよと話しかけてきた。他にも色々言われたが英語唖者の私には無論なにをしゃべっているかわからない。しかし陽気なフレンドリーさを無遠慮に他人に伝えようとする意志自体は伝わってくるので日本では得られない不思議な充実感が得られる。

 

 ハンバーガーはセットで11ドルぐらい(当時1ドル=145円)。

 ハンバーガー店に入ると同行者が白人の酔っぱらいに絡まれた。入店してくるなり彼はこちらの顔をガン見して迫ってきたので非常に迫力があったが、特にひどい言葉を投げかけられることなくその場をやり過ごすことができた。しかし間髪いれずホームレス然としたヒスパニック系の壮年の男がやってきて同様に同行者が絡まれていた。こちらの男とは別れ際になぜか握手をすることになった。アメリカへようこそ、ということだろうか。

 

 勿論楽しい思い出ばかりではなくアジア人に対する差別と思われるシーンにも遭遇した。例えば滞在3日目のホテルのエレベーターで偶然乗り合わせた小柄な白人の女には「Disgrace」と囁かれたり(これはなかなか強烈ではないか?)、客室階の廊下で偶然居合わせた身なりが良く背の高い白人の男に挨拶したらニヒルな笑顔のまま目を逸らされてガン無視されたり、日本では味わうことのないような不快感を得るような場面もあった。

 

 サンディエゴの郊外に少し出ると、こういう雰囲気の住み心地のよさそうな住居と乾いた道路が広がっている。乾燥地帯なので植物は皆、水の恵みをよこさぬ大地に耐え忍ぶようなカサっとした質感か、あるいは守銭奴のように恵みを貯め込みブクブクに太った肉厚の皮膚と鋭い棘に覆われている。

青い空は、際限なく続いている。

 

日本でもよく見る鴨だが、一点わが国の鴨と大きく違うところがある。極端に接近しても全く逃げようとしないのだ。彼らは平然と座り寛いでいる。

数年前に赴いたイスタンブールで出会った猫の大群にも感じたことだが、大陸の動物はどこか人間を信頼しているようだ。これはそこにすむ人々の性質に由来する鷹揚さなのだろうか。我が国の人間は動物を虐めすぎているのかもしれない。

 

スーパーではトルティーヤが当たり前に売られている。

サンディエゴはメキシコ国境沿いの街なので、スペイン語も街を彩る言語のひとつだ。

顔だちもどこかメキシカンな人が多い、気がする。

 

 ある日の夜、腹が減ったのでダウンタウンを歩いていたらラーメン屋に辿りついた。

道中ではホームレスが至る所で道路を占拠しており、テントが大きく先を塞ぐ場面に幾度も出くわした。男の口から吐き出される煙草のような紫煙をくぐると、不思議なことにまるで煙草の匂いではない。日本では違法になっているような類のハッパかもしれない。街路樹の横を通ると必ずといってよいほど小便臭い。ホームレスをみると有色人種や、片腕をなくした白人が構成員のようだ。しかし誰の姿からも悲壮感のようなものを見て取ることはない(私の偏見かもしれないが)。仲間と酒の席で談笑したり、自転車を直したりして、日々の生活を謳歌しているようだ。

 話が脱線した。肝心のラーメンは一杯11ドル。ファンキーな長髪に両腕にタトゥーをいれた若い褐色の女がレジカウンターをしていたので対応してもらった。バスケが得意そうな出で立ち。同じ肌の色の人間は親切な人間が多いので安心できる。オーダー後10分ほどしてラーメンが到着。女と同様にファンキーな雰囲気の男が丼を運んできたのでthank youと伝えるとoff courseと間髪いれず返事があった。ラーメンは豚骨ベースで具材はチキンだった。チキンからは酒の匂いがした。店を見渡すと八海山と書かれた大きな酒樽が数個並んでいた。あれだな。ラーメンは美味しかった。

 

 1週間ほどの滞在だったがあっと言う間に最終日がやってきた。最後はガスランプという繁華街を練り歩く。サンディエゴは100万人程度の都市らしいが活気はコロナ前の大阪や東京の盛り場にひけをとらない。バーが何軒も連なりガラス張りの広い店内はどこも満員だ。色々な人種がそこで酒を飲み仲間と騒いでいる。勿論誰もマスクをつけていない。

 いまの日本の鬱蒼とした繁華街の景色とは全く性質の異なる夜がここでは平然と人々を支配していて永遠に続くかのようだ。

 夜のホテルの客室の窓の外からは連日ラップ音が鳴り響く。深夜での近所迷惑という概念はサンディエゴに存在しないのかもしれない。いや、おそらく、アメリカ全土に存在しないのだろう。その騒ぎはもはやこの街にすっかり板についているようで、不思議と全然腹立たしくならず、むしろ奥ゆかしい絵画がそこにあって、私は神妙な気持ちでそれを眺めるようにラップ音に絶えず聞き耳をたてている。

 

 アメリカという国の不思議さを存分に体感できた一週間だった。帰りはサンディエゴから成田への直行便だった。行きは8時間程度だったが帰りは11時間超かかった。どうやら自転とは逆方向に移動するせいで移動時間が大きく異なるらしい。

 

 アメリカでは素晴らしいこともひどいこともたくさん体験できた。

 実は着いた当初はあまりこの国に馴染めそうにないなとおもったのだが、もし英語唖者から脱することができるのなら日本の数倍楽しい人生を謳歌できるのではないだろうか、と期待してしまう。

おそらく死ぬまでにあと5回ぐらいはこの国を再訪することになるのだろう。

 

素晴らしい新世界へようこそ。