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「高い城の男(The man in the high castle)」

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※原作のネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 ちょっと前にtwitterでドラマ版が流行っていたので感化され、ハヤカワの新訳版小説を買って読んだ。

 舞台は第二次世界大戦ナチスドイツー日本ーイタリア枢軸国連合の勝利で終結した数十年後の北アメリカ大陸

 原作の描写によると、かつてソヴィエトロシアが支配していた大地は「文明以前の状態」に戻され、アフリカ大陸では黒人がユダヤ人と同様の扱いを受けて絶滅し、アジア地域は全て大東亜共栄圏に編入され、アメリカがナチスと日本の傀儡国家に分割統治されている。つまり、世界自体が、ディストピア小説によくある、全体主義的な超大国によって統治された状態にある。

 この小説からはフィリップKディックひいてはアメリカ人のナチス観がダイレクトに伝わってきて面白い。

 大戦に勝利したナチスはその膨張主義を抑えることが出来ず、世界征服に乗り出す。

 ナチスはあらゆる統治地域で人種絶滅政策を断行し、アーリア人の植民に乗り出している。太平洋を横断する核ミサイルを開発するほどの高度な軍事・科学技術力を保持していながら、政権内部は恐るべき混沌が支配し、熾烈な権力闘争が水面下で繰り広げられている。その様は、圧倒的な虚無主義、複数の意志が内部に分裂して存在する怪物、と形容されており、正しく人類文明を破滅に導く悪鬼として描かれている。

 

 フィリップKディックが巻末で述べているように、この小説は「凡庸な人」が勇気を振り絞り、悪鬼たるナチスドイツとの戦いに身を投じてゆく物語だ。

 

 北太平洋岸連邦(日本属国)へ赴任している官僚の田上は、日本人の特権を利用して知り合いの古物商のアメリカ人チルダン氏を侮辱することを厭わない人物であるが、彼の運命は、ナチスドイツの最高指導者が死去し、ドイツ本国で継承者争いが繰り広げられ、その混乱がアメリカ大陸へも波及しはじめてから一変する。ナチスの会合に呼ばれた田上は、ドイツ本国の闘争の有力候補者達の行いを淡々と説明する司会者の言葉に精神をやられ、先の大戦ナチスと同盟を組んだ日本のあり方に疑問を呈するようになる。さらには、物語終盤で、ナチ党内の有力な一派が、日本列島に対して核ミサイル数十発を撃ち込む奇襲攻撃「タンポポ作戦」で一気に制圧する計画を練っている事実を、一派に敵対するナチの高官から打ち明けられ、さらにその直後SD(親衛隊保安部)の攻撃を受け高官と自分がドイツ本国から命を狙われている事実を知り、いよいよナチスへの絶望が田上を支配する。最終的に田上は、太平洋岸連邦内でナチスの秘密警察に逮捕されドイツ本国へ送られそうになっている哀れなユダヤ人を釈放し、日本本国の国益ではなく、個人の怒りによって、威圧的なドイツ領事に対して啖呵を切るまでになる。

 

 知り合いになったイタリア人の男と良い仲になったジュリアナ・フリンクは、男が持っていた大金で放蕩生活を送るようになるが、やがて、男が持っていた「イナゴ身重く横たわる」という小説に興味を持つ。この小説では、枢軸国が敗戦し、アメリカで自由民主主義が謳歌されている世界が描かれていて、ジュリアナはたまらなくこの小説の世界を恋しいと思うようになる。そして、その作者たるアベンゼンに興味を持つようになる。その過程で、ジュリアナは、なぜこのような小説を戦勝国民たるイタリア人が持っているのかと疑問を持ち始め、男に問いただしてみるがうまくごまかされるばかり。やがてジュリアナは、この男が実はナチスのSS(親衛隊)のスパイであり、太平洋岸連邦で暮らす「イナゴ身重く横たわる」の作者アベンゼンを暗殺するべく渡米してきたこと、ジュリアナ自身はアベンゼンに接近するために用意された駒であること知る。

 絶望に囚われたジュリアナは、このSSの男とホテルの一室でとっくみあいをはじめ、ついには男を殺してしまう。そして、ジュリアナはアベンゼンに暗殺計画を教えるべく彼の住処「高い城」を目指す。 

 

 この絶望に囚われた世界は、最後、奇妙な真実によって救われることになる。

 「高い城」へとたどり着いたジュリアナは、ついにアベンゼンと対面することになる。しかし、アベンゼンの自宅はまるで平和で、アベンゼン自身もどこか平和ボケしている。とてもではないが、反社会的な小説で一世を風靡した男の家とは思えない。そこでジュリアナは「易経」でこの世界を占ってみる。すると、今までジュリアナ達がみていた世界は実は虚構であり、アメリカが勝った未来こそが真実であることを易経は告げた。こうしてジュリアナは、安心してアベンゼンの自宅を後にする・・・

 

 緊迫感に包まれつづけたこの小説は、物語自身が実は虚構であるという事実によって弛緩し、救われる構造になっている。初見で読むとなんだか狐につままれたようなオチは、筒井康隆を彷彿とさせて面白い。こうして、SDの隊員を、正当防衛とはいえ射殺してしまった田上と、ついこの間まで恋人だった男を殺害してしまったジュリアナは、易経の宣託によって解放される。

 ところで、ジュリアナはともかく、田上はその事実をどのように受け止めるだろうか。アメリカが戦争に勝った世界では、当然日本人が白人にエラソーな顔はできない。それどころか、逆に蔑まれる。作中、神経が衰弱した田上が偶然真実の世界へ紛れ込む場面があって、白人ばかりが席に着くレストランで田上は「日本人に席を開けろ!」と怒鳴るが、白人からは冷笑の目しか向けられない。

 しかし、それでもなお、日本人にとっても、この虚構の世界は人類にとって意味をなさない呪いの世界であるということを、「高い城の男」は表明しているのだろう。

レキに学ぶ灰羽連盟

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 愛煙家で、若くて、声の低い女はアニメの世界においてはテキトーな人間であると私は固定観念を持っていて、これはひとえに苺ましまろというアニメで登場する女子短大生伊藤伸恵が、私の高校時代のオタクライフのシンボルであったことに由来します。

(余談だが、煙草を吸う声の低い女を最近のアニメ界隈でさっぱり見かけなくなった気がする。いたら紹介してほしい)

 ところで灰羽連盟を視聴済みの方はとっくに気が付いていると思いますがレキという人は根本的な部分でテキトーなところがなくて、たとえばオールドホームに新しい仲間が誕生すると聞いたときに大喜びして、率先して世話役を引き受けていたのはレキです。そういう人間性からみんなから信頼されているように見えるが、一方妙に暗い、つっけんどんな側面つまりウィークポイントがレキにはあって、これが後々の物語の方向性を決定することになっています。で、最後はレキがラッカにおんぶにだっこ状態になって灰羽連盟はめでたし、となる。

 ラッカがオールドホームにやってきたのは春で、楽しい夏をみんなで過ごした後に、秋になり、たぶんこの辺でクウが消え、冬になり、ラッカが罪憑きになり、暗い話が多くなり、そんな中でラッカが精神的に成長して、そして冬が終焉するころにレキがグリの街を旅立つことになる。一周四季がめぐって新しい春がやってきたときに丁度物語が閉じている。その間に、オールドホームの同志たちに頼り切りだったラッカが成長して、レキの心の闇を理解するようになり、受容し、そして最後はレキを助けることになる。灰羽連盟は世界観のディテールの部分に説明がほとんどなくて、一見よくわからない作品だけど、実は物語の骨組み自体は王道で、良い作品だと私は思う。

 この物語はレキとラッカがお互いに助け合う物語なわけですね。そこに人間同士の理想的な関係を垣間見ることができて、私は好きです。

灰羽と街と壁について

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夏コミ予定本の表紙没絵追悼記念。

 

 ちょっとネットで検索してみたら灰羽連盟という作品は死後の世界を描いていると推測されているらしい。なるほど、「街は壁に囲われている」「灰羽は壁に近づいてはならない」「壁は死である(レキ談)」「いずれ灰羽は壁を越えていく」という設定を繋ぎ合わせると、そこには死者が一時的に訪れる休息の地という外郭がおぼろげにイメージできる。

 そこからさらに一歩進んで考察している人は、灰羽には若い人間しかいないので、きっとこの町は不幸にも早世した者たちの住処なのだろうと考えている。さらにラッカとレキの名はそれぞれ「落下する」「轢れる」を示していて、これはきっと自死した者たちに与えられる名前なのだろうと推理している。確かに彼女たちに付随しているけして払拭できない陰鬱さは、そのような後ろめたい過去に由来していると考えるとしっくりくる。

 

 この、壁に囲まれた箱庭的な街には捉えどころのないルールがあって、例えばトーガに話しかけてはいけない、触ってはいけないというしきたりがあるけど、これは物語の中でいくらでも破られているし、別段それに対する罰則があるわけではない。では一体なんのためにルールが存在するのか、という点は結局わからずじまいだ。一方壁の力は本物で、灰羽が壁に触れると超自然的な罰を受ける。街の中はある程度融通のきく快適な世界だが、壁は、頑として灰羽を受け付けない。唯一受け入れられる=壁の向こうにへと招待される瞬間は、灰羽が街で何かを成し得たときに初めて訪れる。

 結局のところ、この街で行われる営みは、私たちの住む厄介な現実社会の活動のトレースでしかなくて、灰羽たちは労働をしなければならないし、決められたルールに従わなければならないし、病気にもかかるし、ある日突然友人を失うこともある。しかし、この街に住む人は善良で、そこに現実の社会が抱える人間由来の非道は存在しない。なので、この街は人造的な慰労施設のような印象を受ける。

 

 ところで壁は多くの場合、抑圧と拒絶の象徴だ。ただ空間を隔てるためだけに構築された建築物は、その機能性だけが重視される。だから壁は往々にして無機質でのっぺりとしていて、人間的な営みを感じさせない。

 しかし、灰羽連盟における壁は少しばかり意味合いが違う。壁はいずれ「超えるもの」であって、人々を永遠に閉じ込めていく枷として存在しない。壁はいわば、灰羽たちに対する試練のために存在するように思う。そこに絶望的な抑圧と拒絶の意味合いはない。ここに、灰羽連盟の特殊性があるように私は思う。じゃあなんだといわれても、私はまだそこまで観ているわけではないので今日はここまで。

岩倉玲音共和国その2

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 先日、大量の安倍吉俊の画集を読む機会に恵まれて、読み漁っていたら、安倍吉俊lainの造形になかなか苦労していたらしいことが分かった。というのも、ある画集にlainのプロトタイプと想像できる少女が数ページに渡って、ズバババと書きなぐられていたからです。

あのヘンテコなアシンメトリー・ヘアや、どことなくこの社会の存在ではないことを匂わせる雰囲気の少女は、それなりに考え抜かれた結果生み出されたキャラクターであったらしい。

 面白いのは、安倍吉俊が描けば描くほど「ほぉ~確かにこれはよりlainっぽいね」と思える方向に修正されていったことで、これは私がlainの最終形を知っているがゆえの誤解かもしれないが、キャラデザという作業は、よくわからないセンスやらインスピレーションでパッパと済んでしまうものではなくて、土台を固めて少しずつブラッシュアップしていく泥臭い作業なのだなと理解することができて、興味深かった。

 画集のそのほかの作品をみてみても、安倍吉俊の素描絵の中には、凄まじく良いものもあれば、なんだこれ?というたぐいの物もあって、才能溢れる人間も、作品を生み出すのには苦労しているんだろうなあということがおぼろげに分かって、いろいろ思うところがあった。

 まあでもとにかく第一に大切なのは何が何でも納得のいくまで描きまくることで、私はそれを、あの世に出ることの叶わなかったlainのプロトタイプ達、不出来なDuplication達によって理解することができた。

 エヴァQの中で、カヲル氏も言っていた。「納得のいく音が出るまで、鍵盤をたたき続けるんだよ」(多少、台詞は私の脳内で改変されてしまったかもしれない)

 

「模倣」

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 ふと思い立って、目に留まった作品の真似をしてみると、何気ないところに素晴らしい技巧が凝らされていたり、模倣しようにも再現できないほどうまく作りこまれている細部に気が付いたりする。

 模倣はいけないことなのだろうか?

 その動機にリスペクトが含まれていようがなかろうが、それはある人の軌跡を辿る行為そのものなので、そこには景色が存在し、険しい道があり、達成感が存在するように感じる。そして最終的には、それらは開拓者たる作者への敬意へと還っていく。

 敬意というものは思いのほか大事なもので、たとえば軽蔑から建設的な未来を引き出すことは期待できない。一方敬意は向上心の駆動源となる。

 

 この社会で暮らしていると、人々は他者を褒めないことに気が付く。

 先日ツイッターのタイムラインを眺めていたら、「素直に人を褒めると気分が楽になる」という意味のRTが流れてきた。なるほど、人を褒めたところで誰も悪い思いはしないし、そこからは自ずと敬意が芽生える。一方、悪いところを探すような穿った見方から敬意は生まれないし、それは結局自分自身の行動に制限をかけることになると感じる。

久々に灰羽連盟をみた

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 serial experiments lainより圧倒的に作画が足りていない感じがしたのが悲しかった。

 

 主要人物が軒並み羽と輪っかをつけているということで、基督教的な訓示を含んだ物語と思いきや、肝心の羽と輪っかを付けている連中は労働に勤しんでいるし、しかも無賃労働に近い扱いで人間にこき使われる立場だし、なんだかよくわからないな、とりあえずかわいそうだなあ、というのが第一印象だったことを思いだした。

 あるいはこの物語は、抑圧されるばかりで反抗を知らぬ日本の労働者が喜んで労働に奉仕する様を戯画的に描いたものかもしれない。最近ではニューゲームというアニメに、お互いを美少女としか認識できなくなったサラリーマンのオッサンの悲哀を描いた作品ではないかという疑惑がかけられていたが、あれの先駆けがこの灰羽連盟だったのかもしれない。

 

 もうすこし真面目に作品を語ってみると、安倍吉俊のセンスの良さが存分に登場人物に反映されているなと感じた。特にレキのデザインは秀逸だと思う。不良っぽいけど明らかに不良ではない感じが良い。だけれど完全にお人よしという感じでもなくて、他人に決して侵害されたくない領域を心の隅に抱えている、そういう設定が透けて見えてくる感じ。一目見た瞬間にオールドホームで歩んだレキの人生がみえてくる感じがする。

 あとは世界観の作りこみなんかが良い。たとえば灰羽たちの住む町は壁で囲まれていて、壁から出ることができない。一部の存在だけが壁の向こうへ行ける。灰羽たちは使い古しの物しか使ってはいけない。灰羽はある日突然消え去ってしまう。街の外からやってくる人々は宗教的な衣裳をまとっていて、彼らに灰羽たちは言葉を交わすことができない。

 

 どことなく幻想的で独特な風習がある世界は、私たちの現実と微妙にリンクしている気がする。というのもそれらの設定は私たちの常識からすると一見奇抜なのだが、不思議とすっと受け入れることができる。千と千尋の神隠しを想像してもらえるならわかりやすいと思う。

 安倍𠮷俊の世界と私たちの世界は大きく異なるように思うけれど、なぜかその垣根はとても低くて、気軽にあっちへと渡ることができる。その辺の特長が、灰羽連盟がこれほどまでに長く多くの人々の支持を集める理由なのかなあと感じた。 

響け! ユーフォニアムは本当によかった

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以下ユーフォのネタバレになります。

 

 

 

2期10話、本心を頑なに胸の奥に仕舞ったまま吹奏楽部を去ろうとするあすか先輩を引き留める久美子が、大泣きしながら心の内をさらけ出す場面が本当にすばらしくて、齢三十歳間近の私の心が久々に、アニメで高鳴った。

 

作中のセリフを抜粋すると次のようになる。

久「あすか先輩と出たい!私が出たいんです!」

あ「そんな子供みたいなことを言って・・・」

久「子供で何が悪いんです!先輩こそなんで大人ぶるんですか!!全部わかってるみたいに振る舞って!」

久「先輩だってただの高校生なのに!」

久「先輩、お父さんに演奏聴いてもらいたいんですよね?誰よりも全国行きたいんですよね?」

久「我慢してあきらめれば丸く収まるなんて、そんなのただの自己満足です!」

久「あきらめないでくださいよ・・・!」

久「後悔するってわかってる選択肢を、自分で選ばないでください・・・」

 

このシーンのしばらく前に、久美子の姉の話があって、自分の本当にやりたいことを我慢しつづけた姉は、好きなことをやって人生を楽しんでいる久美子に嫉妬して堪忍袋の緒が切れてしまった。頑張って入学した大学も辞めようとしている。

そんな姉を傍らでみていた久美子は、同じように母親の都合(エゴ)で部を去ろうとしているあすか先輩のことを心の底から心配している、という背景がこのやりとりにはあります。

こういう物語はなかなか書けるようで書けないと思う。なんだか私は、このやりとりに作者の実体験を後ろ盾にした気迫のようなものを感じた。この久美子のセリフには久美子にしか言えない言葉が詰まっている。他人の言葉で虚飾されていない人間の感情がある。

なによりも、人の為に本気で泣くことのできる人間を私はここしばらくリアルでも、アニメでも見ていない気がした。そんな久美子に私は心を打たれたのかもしれない。

 

結局このブログで何が言いたかったかというと、みんなもユーフォニアムみよう、ということです。アニメ業界の新陳代謝は激しく、たいていの作品は1,2年後にはすっかり埋もれてしまう。この作品を1,2年の寿命で終わらせたくない。そんなことを考えて記事を勢いで書いてみた。いいか、みんなユーフォをみてくれ。