石動乃絵 in ロシア(Moscow -> SPB)

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ロシアに行ってきた。

 

今回の空路はこんな感じ。

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今回は日系のJAL421を使ってみた。

日本海からダイレクトにロシア領へ。

 

ちなみに民間機の位置情報は下のURLからチェックできます。

世界は便利にできている。

https://ja.flightaware.com/

 

肝心の旅行の話。

DMEに着いたのは現地時間の15時ぐらい。

空港に着いて、外に出た途端、青い空と、やけに煙草臭い空気が五感に入ってきた。

ロシア人は煙草が好きなようだ。

そこらじゅうで、誰もかれもが吸っている。

 

ここをすぐに離れて、アエロエクスプレスでモスクワ市内へ。

 

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ロシア観光客ならまず足を運ぶПлощадь Революции(プロシャーチ・レボリューツィ:革命広場)へ。17時ぐらいに到着。

モスクワの土地柄なのか、ユーラシア大陸の都市一般の作用なのか、建物が妙に大きい。道路の幅も広い。

広場では、ソヴィエトの真っ赤な国旗を掲げた軍服コスプレのおっさんおばさんが何かを力強い(おそらく)ロシア語で訴えていた。

 

革命の国へ、やってきたのだ。

 

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こっちは本物のロシア軍人。

第二次世界大戦(WW2)の弔いの炎は今も燃え続けている。

 

ロシアは大戦における戦勝国なので、WW2の扱いが日本と全く異なる。というのも、日本にとって、WW2は大陸への侵攻の末に敗北した、目も当てられぬ失政なのであるが、ロシアにおいては悪しきナチス・ドイツ、そしてその他枢軸国の暴虐から国防を完遂した聖戦なのである。

 

この日はレーニン・ゾンビを表敬訪問する予定だったが、広場には妙な仮設スタジアムめいた工事が施されていて、廟に近寄ることすら叶わなかった。

 

夏のロシアの夕暮れは遅い。

19時から20時の間にひっそりとはじまり、21時頃にようやく日本の夜と同じ程度にまで暗闇が空に浸透する。

 

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夜はこんな感じ。

 

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勿論マルクスも居る。

 

翌日は地下鉄でいろいろ移動。

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ロシアの地下鉄は素晴らしい。

完全にソ連が保存されている。

我々の社会と異なる文明が、この地球にあったことをよく伝えてくれる。エスカレータや列車もソ連時代の旧式だ。

日本は、よくもわるくも西欧米国圏の模倣の中にいる。ほかの大勢の国家も、そうだ。

しかしここロシアは違うのだ。ソ連という超大国の正統継承国なのである。

 

革命広場近くにあるГУМ(グム百貨店)へ。Главный Универсальный Магазинの略称らしい。

百貨店の中は、ロシアめいた陽気な民謡が響き渡り、日本のデパートと全く構造の異なる、007のガンアクションの舞台に使えそうな、複雑で古風な西欧風の施しがなされていて素晴らしかった。

百貨店の中にはМороженое(マロージュネ:アイスクリーム)屋が数件点在しているので、ツアーで来ている中国人のおばさん観光客がアイスクリームを頬張りながらグムを闊歩していた。

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あとスイカが泉に漬かっていた。

 

他にも色々書けることはあるが、あんまり書いても読むのが大変になるのでモスクワはここで切り上げる。

 

3日目にレニングラーツキー駅からサンクト・ペテルブルクへ。

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駅の近くにあったスターリン・クラシックスタイルのビル。

 

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モスクワのЛенингра́дский вокзал(レーニングラーツキー駅)の駅標。

中国語がたまに流れる。

 

ここからサンクトペテルブルク着の超特急サプサンが発車していて、

それに乗った。

ちなみにサプサンは日本からネット予約できるので便利だ。

 

4時間ぐらいでペテルブルグへ。

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ペテルブルグの街並み。

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日本と同様に電線が空に引かれていて、親近感が湧く。

 

たしか、ゴールデンカムイというアイヌ漫画の最新刊で、極東サハリンの田舎のロシア女が、ペテルブルグに行きたいと願うシーンがあるが、ここは確かに素晴らしい。

至る所に、見栄えの良い大聖堂や、大きな美術館や、かつてのロシア貴族の邸宅が立ち並んでいて、街の完成度が高い。おだやかな河川がはりめぐらされていて、街のゆとりに一役買っている。

 

この街ではほとんど美術館にいた。

まず個人的に推したいのはРусский музей(ルースキー・ミュージィ:ロシア美術館)。

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革命に敗北したおっさん。

 

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イコン画も山のようにある。

 

次点はもちろんЭрмитаж(エルミタージュ美術館)。

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ありえないほど繊細で見栄えの良い石像が、有り余るほど大量に展示されていてびっくらこいてしまった。

 

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かつてのロシア皇帝の王宮を美術館に転用しているため、建物自体がかなり広く、一日ではとてもではないが、鑑賞に不十分だった。

これだけの収蔵物を誇りながら、たとえば日本の新国立美術館の企画展の半額以下で入館できるのだから、本当にすばらしい。

 

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エルミタージュの外観。

 

ここでもお見せしたい写真は山ほどあるが、あまりブログの記事を長くしすぎても読んでもらえなくなるので美術館はここまで。

 

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ちなみにロシアではこんな感じのボルシチをずっと食べていた、気がする。

ロシア本土のボルシチは具の量がかなり多く、これからは日式ボルシチのけちけちしたスープめいた茶番では満足できなくなるだろう。

ボルシチ好きは、是非ロシアへ行ってほしい。 

 

その他、どうでもいい小話としては、サンクトペテルブルグの街中の、ドストエフスキー博物館近くのウズベク料理屋に入ってプロフを食べていたら、数人の中央アジア人が突如ぞろぞろ入ってきて、そして注文もせずにこちらのテーブルにやってきて、尋問が始まり、国はどこか?とか何しに来たんだ?と、主に黒革ジャンのおっさんに絡まれたときは軽く’旅の終焉’を感じたが、結局数分経過するとあちらさんの興味が薄れたのか、解放されて、до свидания!と手を振りながら去っていった。何しに来たんだ。

 

サンクトペテルブルグのホテルのフロントねーちゃんは、ワシより頭1つ分ぐらい大きい金髪の大女で、基本的には親切な応対をしてくれてよかった。これがもし超ドライな態度で、3日目あたりでワシがホテルの部屋にホテルの鍵を忘れたミスをおかしたときに何もしてくれなかったら泣いてしまっていたところだ。

 

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最終日は早朝からサンクトペテルブルグ→モスクワへ移動し、DME発のフライトで成田へ。

 

個人的に好きなモスクワ・メトロの駅は、このПавелецкая(パヴェレツカヤ)。

DMEからモスクワに鉄道で入るときは必ず使う駅。

 

みんなもロシアへ絶対に行こうな。

 

終 

石動乃絵 in 北海道

もうGWが終わって久しい頃合いに、3月の北海道旅行のことをふと思い出して、そういえばスマホでそれなりに写真をとってきていたし、PCの肥やしにしておくのは勿体ないので記事を書くことにした。

それにしてもはてなは久しい場所だ。

 

航空券はふるさと納税でGetしたPeachの往復チケットである。

なぜPeachにしたかというと去年香港にいったときのCAの服装が忘れられなかったからだ。

関西国際→新千歳。

関西は春の夜明けの中で、大勢の人間が花粉症に苦しむ季節となっていたが、新千歳に降り立つとまだまだ春には程遠い空気だった。

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特徴的だったのは、空気の匂いで、日本本土とは違う、畜産が盛んな国特有の香気があった。

建物は日本のそれなのに、雰囲気が外国なのだ。面白いと思った。

なるほどここはアイヌの土地であり、そして日本人の植民地だ。

 

一日目は待望のスープカレーを食したが、これはそこまでありがたがるものではなかった。

入った店が良くなかったのかもしれない。

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夜についたので、札幌駅そばのホテルですぐに就寝した。

 

2日目。

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北海道大学に侵入した。

 

恐ろしく建物密度の低いキャンパスで、夏場は恐らく古典的で情緒的なキャンパスライフを謳歌できる環境なのだろうが、冬は唯々寒空の下で風と雪が舞う荒野であった。

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名物のクラーク象。

 

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降りはじめた雪を回避するために避難した建物が博物館だった。

この博物館は良かった。大学の研究室や実験室が併設されているので、博物館自体が活きている。色んな展示物が揃っている。

ロシア文化の資料、様々な動物の骸骨、標本、動植物、鉱石…

魔女の居城のような危うさがある。楽しい。

 

帰りは大学の学食でラーメンを食べた。

ふつうのCOOPの学食。

 

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大学から出ると雪が酷くなった。

こうなると外から出たくなくなる。

北海道は住みやすいのか住みにくいのか、よくわからない。

 

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四島返還。

領土問題は日本本州では極めて希薄な扱いのため、この幕を発見したとき、たしかに本州と異なる島にやってきたのだなと気持ちを新たにした。

この島はロシアとの文明の衝突点なのだ。

 

夜はすすきのでバーに入った。

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ラーメンとかジンギスカンをどこで食べたらいいかわからないと伝えると、メモ紙に数十店以上を書き綴ってくれて、あと10回は札幌を訪問できる程度のストックを手に入れた。サービス精神旺盛。

なぜか客が自分一人の状況でどんどんバーテンダーが入ってきて謎だった。

 

3日目。

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小樽に行った。意外と札幌から近い。

ここは枯れた街で、住む人々はかつての遺産で飯を食っている印象があった。

なによりも悲しいのは、建物の雰囲気と、そこに住んでいる人間の気質がマッチしない。

哈爾浜はロシア様式の建物に中国人が住んでいる町らしいが、恐らくそこも似たような状況だと思う。

正直あまり好きな街ではなかった。

どこで食事をするにも高いし、土産屋が多すぎる。

 

ただ文芸博物館?のようなところは良かった。

というのも小林多喜二の生原稿が読むことができた。

圧倒的プロレタリアート思想に触れ、これからも断固として資本主義社会と労働と圧政に対峙していく意思を新たにすることができた。

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夜は適当な居酒屋で泥酔して終わった。

帰りに雪でコーティングされた坂の上でこけて、ケツを強打して痛かった。ホテルは駅前のドーミーインに泊まったが、なかなか立派な大浴場があって良かった。

 

4日目。

札幌に帰り、六花亭のバターサンドを購入して帰った。

久々に六花亭の本物を食べると、セブンイレブンで売られている例のジェネリックは偽物の満足しか提供できないことを理解し、北海道に来てよかったと思った。

 

京都に帰宅後、近所のイオンで買い物をしていると六花亭のバターサンドが当たり前のように売られていた。

 

石動乃絵 in 城端むぎや祭2018

9月といえばあの季節である。

そう、truetearsの原点、富山県城端むぎや祭である。

なお、作中では雪が舞う真冬の夜に祭が執り行われるが、実際のむぎや祭は晩夏、夕刻に涼風が舞う季節に開催される。

アニメの世界では冬の寒さは問題ではないのだが、一般的に現実の私たちは寒気に弱い。

悲しい現実をうけいれなければならない…

 

ちょっとむぎや祭のことは傍へ置いておこう。

今回は祭りの前座として、まず高山へ行った。

経路としては 関西→高山→白川郷城端→金沢→関西。

 

一日目。

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関西から高山直通の特急に乗る。

ありがたいことに朝に一本だけ設定されている「特急ひだ」である。

 

現地は雨だった。

この時期の北陸地方はいつも天気がわるい。

しかし観光客はいっぱいいた。

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高山駅が新しくなっていた。

モダンな建物である。

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このフォントは良い。

 

街中は外国人が溢れていた。

数年前は存在しなかったゲストハウスの階下のバーでは酒で頭がやられた白人がべろんべろんになっていて、変に猥雑なムードが漂っていた。

バンコクカオサン通りを思い出した。

高山は大きく変わってしまった。

 

あと一層強くなっていたアニメプッシュ。

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ひぐらしが懐かしかった。

カナカナカナカナカ…

 

2日目、白川郷

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高山駅前からバスに乗ってたどりついた。

ここも外国人が大量にいた。

世界遺産。世界に大声で宣伝する行為。

日本人だけが知る秘境がまた一つ失われてしまった。

 

適当にふらっと入った飲食店で食べた定食はおいしかった。

多分自分たちが普段食べている料理を観光用にふるまっているからだろう。

 

滞在1時間で城端→桜が池へ。

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圧倒的ホームグラウンド。

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しばらくして城端市街地へと向かった。

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北陸の祭りは静かでよい。

私の故郷である関西の祭りは、総じて騒がしく、オタク気質と正反対の空気があるためあまりなじめないが、こちらでは自然と調和できるのである。

 

夜は当然鑑賞会である。

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今回はテレビサイズが小さく、鑑賞するどころではなかったのでほぼBGMに成り下がっていた。

次回からは大きなテレビでじっくり一作を流して観たいところだ。

 

3日目。

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井波屋でプリンを食って帰った。

 

それではまた来年。

 

(謝辞)

ttオフ参加の方々には色々お世話になりました。

この場にてお礼申し上げます。

石動乃絵 in トルコ共和国

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一か月ほど前にトルコへ行ってきた。

渡航ルートは上の画像の通り。

ターキッシュエアラインを使うとロシア上空を通過してトルコ国内へと至るようだ。フライト時間は12時間。

イスラム教国(正確には世俗国家だが)のフラッグキャリアだけあって、機内サービスでコーランの暗唱を聴くことができた。

イスラム力を高めるため、私は到着までずっとコーランを耳に焼きつけていた。

 

イスタンブールに着地したあとはそのまま国内線に乗り換えてデニズリという地方都市の空港へ向かった。

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早朝に到着。

まだ肌寒かった。タクシーで大陸の大地の息吹を感じる。

これでパムッカレという有名な観光地へ足を運んだ。

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ここはかなり奇天烈な風景が広がっていて、見ての通り石灰岩が棚のように積み重なって山ができている。(写真の箇所は恐らく人工だが)

その山上にはローマ時代の遺跡で作られた温泉があった。

美少女が沢山いて、本当によかった。

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ローマ時代の演技上らしい。

ここで歌の上手いオッサンがオペラ調の曲を披露していてヨーロッパを感じた。

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売店には英語に並んでロシア語があった。

東アジアとは異なる遠方の地へやってきたのだ。

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飯はこんなかんじで、何を頼んでもとりあえずバゲットがついてくる。

やはり初日ということでケバブを食べた。

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パムッカレ村の街並み。

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いたるところにモスクがある。

早朝や夕刻にコーランと思われる朗読の録音が街中に鳴り響く。

異国の情緒がある。これは良い、とおもった。

 

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2日ほど滞在してイスタンブルへと行った。

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この街には立派なモスクが沢山ある。

だが同時に臍出し女ダンサーを楽しむこともできる。

 

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腰がクネクネ動いていて卑猥だった。

 

勿論キリスト教国時代の名残も残っている。

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モスクはこんな感じ。

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あとこの街にはやたらと猫がいた。

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最終日はバザールへ行った。

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もちろん絨毯トラップにひっかかった。

私の友人は数年前この街でうっかり数十万の絨毯を買ってしまったらしく、その話を聴いたときにわかに信じがたい話だなあと感じたものだが…現地へ行くと手に入れたくなる気持ちがよくわかった。

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勿論買った。

 

最後に菓子屋の店員。

渡航前はトルコ人とはアジア系の血が濃いものだと思っていたが、実際はヨーロッパの顔立ちの人間のほうが圧倒的に多かった。

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非常に良い国だったので、みなさんも行きましょう。

いまはトルコリラが暴落していてお買い得ですよ。

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石動乃絵 in 城端曳山祭2018

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 truetears10周年の節目でついに辿り着いた境地…

城端曳山祭である。

祭にあわせて、truetearsの大規模イベントが同時開催される。

いわば、私たちttオタクにとってのメッカ巡礼のようなものである。

 

GW中の開催のため人混みでえらいことになるのではないか、という心配は杞憂に終わった。

観光客ひしめく金沢市街と比較すると、この富山の辺境は実に静かであった。

 

そう、私たちtruetearsオタク達は、石動乃絵と(あるいは、物好きの中には湯浅比呂美と)、壮麗な連峰と、なんとセフレの息吹を欲して、遠路はるばる、この北陸の小京都と呼ばれる街へやってくるのである。

 

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曳山祭はこんなかんじ。

 

残念だが、この祭では着物の美少女は主体ではないのである。

なお、夜にならないと山車は動かない。

 

さっそく本題に入る。

バスを逃したので徒歩で城端駅から桜が池に辿り着いた。

桜クエリの様子。

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非常にクオリティの高い展示物に驚かされる。

10年前、初めてtruetearsを視聴したときの、あの感動が蘇ってくる…

 

おぎゃあ…おぎゃあ…

 

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2008年の輝きが蘇ってくる。

青春の真っ只中に「truetears」を感じた私たちにとって、この世界こそが心の故郷である。

 

次回があれば、石動乃絵を絶対勝利させような。

 

2日目は高岡にいった。

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高岡の有名たこ焼き店、HACHIHACHI。

あまりにも店内がガチすぎてビックリした。

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古ぼけた特集記事から、長いようで短い10年の歳月を感じ取った。

あれから10年も経ってしまった事実、しかし、truetearsは色褪せず私たちの心の中にあり続けているという真実。

ひさびさに充実した日々をおくることができた。

 

絶対むぎや祭もみんなで巡礼しような。

 

終わり

 

 

 

 

 

 

石動乃絵 in 中華人民共和国香港特別行政区

前回の台湾旅行が快適だったので、同じ中華圏の香港に興味が湧いていってきた。

 

国際線で日系の航空会社を使ったことがなかったのと、なんとなくカンパニーカラーとかが好みだったのでピーチの航空券を取ってみた。

ピーチのCAの服装は日系的な堅苦しい感じがないし、なんとなくセクシーな感じがしてよかった。写真をとっとけばよかった。

搭乗中はずっとCAの制服を凝視していた。

 

夜に到着してその日はすぐに眠った。

 

翌日。

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九龍のメイン通りの様子。

交通インフラは十分に整っていたし、大気汚染は全く無かった。

路上勧誘もほとんど無し。

 

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九龍公園の様子。

フラミンゴめいた鳥が大量にいた。あとそのほかにも色んな鳥が公園では飼われている。

多分大半は飼育されているんだろうけど、野鳥的な感じでのんびり暮らしてそうなのが良かった。

 

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ヴィクトリア湾の様子。山とビルのコントラスは、神戸を彷彿とさせた。

 

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中国旗と香港行政区旗。やはり旗が高々に掲げられているのを観ると、外国にきた実感がわいてきていいなあと思う。

 

土産屋で中国旗のマグネットを買ったら、土産屋のねーちゃんに「なぜおまえは香港で中国旗の土産物を買うんだ?」と煽られた。やはり香港民は本土民と少し毛色が違うのだろう。

 

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おしゃれででかい個性的な高層ビルが香港には山のようにある。ハイテクだ。が、何故かビルの工事現場の足場は一様に竹で出来ていて、一見なよなよしている。現代的な高層建築物にそういう竹細工めいた施しがされているのを観ると、ちょっと中国っぽいなと感じる。

 

2日目は博物館にいってきた。

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香港の歴史ということで、現地の生活のほかにアヘン戦争とイギリス植民地時代、そして日本支配時代にフォーカスがあてられていた。

 

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面白いことにアヘン戦争とイギリス占領時代は淡々と説明されていて、あまり悲壮な感じがしなかった。

むしろ好意的にとらえているようにすら思えた。

 

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一方日本占領時代の展示はひどく暗く、あからさまに憎しみをもたれていた。

大陸でみた日本の軌跡は、妙に滑稽で、宙に浮いていた。

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あと当然のことながら、極めて自然な感じで台湾が中国に含められていた。

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夜はヴィクトリアピークにいってきた。

ここは寒いし風が強いし観光客が大勢いるのでお勧めできない。

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翌日ピーチで帰国。

はっきりいって言葉が違う以外は日本とあまり変わるところがない。インフラは整っているし、マクドナルドも寿司も気軽に食べることができる。物価は日本と同じ程度だ。

 

真冬の時期でも香港の気候は日本の秋ぐらいで、非常に過ごしやすかった。日本の冬の寒さから逃げるには実に良い環境だと思う。

 

おしまい