石動乃絵 in Thailand

ゴールデンウィーク中に石動乃絵はタイ王国へ行ってきたのでレポするね!(初日)

 

・香港空港経由、8時間かけてバンコクへ。香港空港に到着すると、霧の向こうに皆同じ高さ同じ格好の高層ビルが整然と並んでいて、計画経済っぽいな~さすが中国と感心する。そうしているうちにさっそくスマホをLostする。盗られたか、なくしたか定かではないけれど海外の洗礼を浴びた気分に陥る。取り敢えず初めて海外に来たのでクレジットカードでATMからお金をおろせるか試してみたが謎のエラーを吐くだけで埒が明かない。ろくに現金を持ってきていないのに。この辺ですでに泣きそうになる。

 

バンコク行き飛行機搭乗。席がよくわからなくてキョロキョロしてたら隣の中華系のオッサンが航空券見せろという。見せたら席を教えてくれた。日本では体験できない親切に感動する。

 

バンコク国際空港(スワンナプーム)到着。じんわりと熱い。トイレの便器の形とか、通路の様子とかびみょ~に日本の常識に則って作られていなくて面白かった。携帯電話の回線を止めるためにネカフェに入るが、英語がろくに聞き取れないためカウンターで揉める。カウンターのお姉さんが心底バカにしたような顔をするが不思議と不快感は無かった。タイのネカフェには電話が置いてあるのだけれどこれがろくに繋がらない。隣でポーランド人のオッサンが電話つながらないせいでキレていた。

 

・空港から電車に乗ってバンコク市街地へ。電車を降りた途端、蒸し暑い空気に押しつぶされそうになった。とりあえず改札外に出ると、その辺に酒瓶が転がっていて南国っぽい植物が大量に生えていて電柱から垂れている電線が絡まったスパゲティみたいで本格的に海外の息吹を感じた。不良の若者達がバイクをふかしているそばを通り過ぎる。コワイ。取り敢えずタクシーを拾ってホテルがある通りまで行こうとすると、タクシーのオッサンがかなり不良系で行き先を告げるとなぜかキレられた。あとで知ったのだけれど、どうやらタイ語はイントネーションが死ぬほど重要で、抑揚が間違っていたら別の意味の単語になるので全く通じなくなるらしい。日本語ではない全く別の言語体系の洗礼。

 

・ホテルに泊まるためカオサン通りという有名なバックパッカー街に行った。市街地の中だというのに、信じられないほど大音量の爆音が通りに並んでいるディスコ、バーの中から聞こえてくる。大量の白人がそこら辺を歩いていている。そのほか、現地人、中国人、インド人、片足を無くしたオッサン、乞食がぐちゃぐちゃに混じり合って通りを歩いている。初めはビビったが、しばらくふらついていると、日本よりずっと歩きやすいな、と思った。誰も焦っていないし、周りのことをちゃんと見ている。スマホを歩きながら操作している人間はいない。そういうことを思っていると白人の男と肩をぶつけた。Sorryという一言が聞こえる。海外の人間はなかなか謝らないと日本ではさんざんきかされたのに。次にかかとに靴をぶつけられた。振り返ると190cmの黒人の男が立っていてこの男もSorryと発音した。

 

・ホテルが一向に見つからないのでその辺の現地人に訪ねてみたら一応指を挿してくれて場所を教えてくれる。けどその先には全然見つからなくて別の人にきいてみると全く別の方向を指さす。それを5回ぐらい繰りかえして、なんだかこの状況はフランツ・カフカの小説にありそうだな、と思ってちょっと楽しかった。取り敢えずバーに入ってご飯(タイ米チャーハンとトムヤムクン)とビールを注文した。滅茶苦茶パクチーの味がした。ビールは薄いけど美味しかった。熱帯の地域ではこのぐらいの濃度がちょうどいいのかもしれない。白人が楽しそうに騒いでる姿を見ながら休憩した。食事後、通りで見つけたセブンイレブンに寄ったらATMがあってので試しに使ってみたら無事お金をおろすことができてほっとする。コンビニから出た後は、諦めて通りを歩いている最中で見つけたホテルで一泊過ごすことにしようと思い立つ。ホテルのカウンターは女のひとだった。仏に拝むようなポーズで両手を合わせて挨拶してくれた。どうやらタイではこれがオーソドックスなスタイルらしい。これは一度タイで本物のしぐさを見ていただきたいのだが、はっきり言ってクソ萌えます。

 

・ホテルの一室は丁子のにおいであふれていた。浴室のドアは滅茶苦茶重たくて、鍵がぶっ壊れていた。シャワーを浴びている最中に水を口に含んでみたが、なんだか鉄っぽい妙な味がした。なぜか浴室と寝室内がフラットに地続きで、水を出しっぱなしにしていると寝室まで水浸しになってしまいそうで不安だった。ベッドに寝転がると死ぬほど疲れていることにようやく気が付いた。

 

2日目以降は後日。

湯浅比呂美に学ぶグリザイユ画法

 

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こっちはグレースケール

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僕は湯浅比呂美を憎んでいるのだけれど、バスケをしている比呂美だけは本当に好きなんだ…

 

 かわいらしいヒヨコを模って作ったスイートポテトの生地をオーブンで加熱してみたらみるも無残なヒヨコの焼死体が出来上がってしまい笑いを誘うツイートをみて、これは人の才能の本質を示す良エピソードだなと思った。かわいらしいヒヨコ型の焼き菓子をつくりたい場合、生地の過熱による見た目、味、食感、容積の変化を正確に予測しなければならないことは考えれば当たり前の話なのだけれど私たちはこの当たり前の事実を多くの場合忘却してしまう。
 基本的にMakingやActionと呼ぶことのできる人々の殆どすべての活動の質の向上にこの予測は必要不可欠なスキルだ。それは絵を描くことにしても小説を書くことにしても水泳にしても演劇にしても医療にしても会社で書類を作成することにしてもあらゆる場面で必要だ。
 頭の中で展開される作業の結果と実際に手や体を動かして得られる成果の間には大きな断絶が存在する。特にその道の初心者の場合それは致命的なレベルの隔たりで、私たちはこの隔たりを少しずつ狭めることによって自分の思い通りのMakingあるいはActionを得ることができる。
 ここで大切な点は初心者である間は隔たりを簡単に狭めることができるのだけれど、頭の中の現実と実際の現実の差分が小さくなってきてから隔たりは簡単に狭められなくなる。これはちょうど物差しで正確に10cmの長さを測ろうとするとき、1cmのレベルのずれから0.5cmのずれのレベルまで補正することは至極簡単な話なのに0.1mmから0.01mmのずれを補正することは非常に難儀する事実に似ていて、この断裂を超えるには誤差を低減させるためのモデルを現実に即した形で構築して理論的に攻める方法をとる必要がある。
 ただ、幸か不幸か、現実は僕たちが考えているよりは間違いなくずっと複雑なので、このような単純な課題に対してすら色んな局所解が殆ど無限に存在するのだと思う。そういう意味で、最も大切な考えは現実を曲解せずに素直に、謙虚に客観視しつづける視点なのだろう。

2015年コミケットスペシャル(春コミ)

毎年の夏と冬にコミケットというキモヲタのための一大祭典が催されることは皆様の周知の通りだと思うが、5年に一度、特例として春にコミケット番外が開催されることはそれほど有名でないかもしれない。

 

社会人の有り余る財力に頼れば東京に行くことはわけはないので、行ってきた。

スペシャルということで、いつもとは違う雰囲気の会場だった。

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写真にはとってないけど、なんか出店みたいな企画が多くて面白かった。

それにしても、幕張の会場はビックサイトの雰囲気にすごく似ている。

 

 

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一日目の昼に抜けてしまったのが本当に悔やまれる。

中夜祭ではアニメ界隈のかなり実力のある音楽ユニットが集まってライブを披露していたらしい。私はチケットなんて到底余ってないと観念して早々に離脱した。実際は当日券が発券されていたというのに。

物事は初めからあきらめてはいけないということと、暫く我慢して待つということを学んだ。それらは時として大きな効果を発揮する。

 

 

 

 

 

 

 

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帰りはマグリット展に寄った。

同じモチーフがリフレインして様々な作品にパワーアップして出現してくる様は圧巻であった。と同時に、彼ら天才もやはり試行錯誤して、自らの作品を高みへと持ち上げていくわけである。それも徐々に。

 

マグリットは、とてもわけのわからない作品を描いた人なのだけれど、わけがわからないというのは、あくまで全体を見渡したときだけであって、絵画を分解して細部を点検しはじめると、それぞれの作品を構成するパーツ自体は至極まっとうで、現物を忠実に再現していることに気が付く。(たとえば、鳥の形にきりとられた空に浮かぶ雲)。

だけれどそんな当たり前なものが、ちょっと妙な位置にあったりするだけで、とんでもない相乗効果を生んでしまう。そうして生まれた、このわけのわからなさは私たちを何時間と引き込んでしまう。

12時ぐらいに入場して、実際に出口にたどり着いたのは17時。入場料1600円でこれだけの作品群を拝めるのは、とても素晴らしいことのように思えた。

「光の帝国」「人間の条件」は、何時間でも眺めていられる。まだ行ってない人はぜひとも六本木に足を運びましょう。