湯浅比呂美に学ぶグリザイユ画法

 

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こっちはグレースケール

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僕は湯浅比呂美を憎んでいるのだけれど、バスケをしている比呂美だけは本当に好きなんだ…

 

 かわいらしいヒヨコを模って作ったスイートポテトの生地をオーブンで加熱してみたらみるも無残なヒヨコの焼死体が出来上がってしまい笑いを誘うツイートをみて、これは人の才能の本質を示す良エピソードだなと思った。かわいらしいヒヨコ型の焼き菓子をつくりたい場合、生地の過熱による見た目、味、食感、容積の変化を正確に予測しなければならないことは考えれば当たり前の話なのだけれど私たちはこの当たり前の事実を多くの場合忘却してしまう。
 基本的にMakingやActionと呼ぶことのできる人々の殆どすべての活動の質の向上にこの予測は必要不可欠なスキルだ。それは絵を描くことにしても小説を書くことにしても水泳にしても演劇にしても医療にしても会社で書類を作成することにしてもあらゆる場面で必要だ。
 頭の中で展開される作業の結果と実際に手や体を動かして得られる成果の間には大きな断絶が存在する。特にその道の初心者の場合それは致命的なレベルの隔たりで、私たちはこの隔たりを少しずつ狭めることによって自分の思い通りのMakingあるいはActionを得ることができる。
 ここで大切な点は初心者である間は隔たりを簡単に狭めることができるのだけれど、頭の中の現実と実際の現実の差分が小さくなってきてから隔たりは簡単に狭められなくなる。これはちょうど物差しで正確に10cmの長さを測ろうとするとき、1cmのレベルのずれから0.5cmのずれのレベルまで補正することは至極簡単な話なのに0.1mmから0.01mmのずれを補正することは非常に難儀する事実に似ていて、この断裂を超えるには誤差を低減させるためのモデルを現実に即した形で構築して理論的に攻める方法をとる必要がある。
 ただ、幸か不幸か、現実は僕たちが考えているよりは間違いなくずっと複雑なので、このような単純な課題に対してすら色んな局所解が殆ど無限に存在するのだと思う。そういう意味で、最も大切な考えは現実を曲解せずに素直に、謙虚に客観視しつづける視点なのだろう。