goto山陰地方

GOTOキャンペーン中にgoto山陰をした。

ただし18きっぷで疲れ果てた旅路の最後にホテルの領収書はゴミ箱に捨ててしまった。大体、後で書類仕事をするなんて、それじゃまるで仕事にいったようなものじゃないか!それに、国の税金で旅行などとは、私はただの経済の循環器ですと自ら表明しているようなものなので、結局国策のGOTOとは無縁でいたいと思った…旅行とは?

 

脱線した。話を元に戻す。

山陰地方とは文字通り陰である。山陽の対である。

一方の極の対岸へゆくには、かならず大掛かりな山越えをする必要がある。

山陽からどこかしらの山陰へアクセスするなら木々と草花の茂りが眼前に迫る小道を単線電車がわずかな勾配を伴って、トロッコのような揺れを捕捉しながらゆっくりと前に進むことになる。それが山陰地方への旅路だ。時速40kmにも満たないんじゃないかと不安にさせる箱モノの乗り物に身体を委ねながら、車窓を独占し、たまに現れる小さな平野と小川、寒村が。あるいは巨大で年季の入った採掘場。

 

1)山陽道

昼下がりに移動開始。

(自宅)→京都→大阪→姫路→岡山

都市圏路線である京都姫路間について語る必要はないと思う。

姫路岡山間は予想に反してガラガラだった。

この区間は18きっぱーの間でなかなかの鬼門と噂されていたと記憶しているが、コロナの影響か岡山までの移動者は少なかった。去年までは恐らく立ち客が大勢いるほどの盛況が終点まで連続していたはずだ。

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上郡から始まる険しい兵庫越えが楽しい。

三石に到着したときの、明確に他県に侵入したという実感が18きっぱーを満足させるのだ。

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取り敢えず倉敷まで行って、街を観光して、夜に岡山へバックした。

岡山駅ではきびだんごを買って、駅前のホテルに泊まった。

 

2)山陰へ

朝から移動開始。

岡山→倉敷→新見→米子→松江

岡山から山陰に出るには伯備線に乗る。

新見でトランジット。

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なぜか牛プッシュ。

ここは特急電車が頻繁に走る幹線だからか思った以上にスムーズに移動できたと思う。それでも大体3時間ぐらい上の状況が続く。

ちなみに山陽山陰連絡線は各県の随所にあるが、例えば広島駅発のローカル線からアクセスするとこの山越えが一日イベントになるらしい。

 

米子はくたびれた街だった。死にかけた松阪屋が駅のはずれにあって、痛々しい。長年放置されたテナント募集の物件も目立つ。商店街は瀕死の状態だ。

しかし奇怪なことに米子市の人口は年々上昇傾向にあるらしい。

(家に帰った後、Wikiで調べた)

 

近くに皆生温泉という山陰では有名な温泉街があるらしいので足を運んだ。幸いバスの本数は3便/時程度でアクセスには困らなかった。

皆生は大型旅館とソープ街が奇妙に混合していて独特な雰囲気だった。これが山陰地方のトレンドなのだろうか。

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米子の駅前で寿司を食べた。おいしかった。

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夜に松江まで移動した。

 

3)長大な海岸

松江→出雲市→江津→浜田→益田

午前は松江城を観光した。

松が地名に付く通り、この街は武家の城下町で、松江城は国宝となっている。

ついこの間までは、確か国宝四天守閣といって姫路、彦根、犬山、深志(松本)を数えていたが、今はそこに松江が追加されているらしい。

知らなかった。

松江城は中々重厚な佇まいで良かった。

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正午に下関へ向かう予定だったが信号機トラブルで3時間トラップされた。

幸い松江駅にはドトールコーヒーがあったので、難を凌ぐことが出来た。

 

松江からは文字通り苦行だった。

山陰本線はここから延々と海岸線沿いを走るので、一見みどころなのだが、日本海の殺風景は4時間もの閑暇を満たすには不足だ。なにより、待ち合わせがとにかく多い。だいたい5駅に1回ぐらいある、それに山陰地方は駅間距離が長く7分~10分ぐらいなので、駅での対面電車待機時間もだいたいその程度になる。

そして、海岸線の隣はとにかく山だ。

中国地方の山を越えると、平野が広がっていると多くの人が考えているかもしれないが、実際は山を越えると海へまっさかさまなのだ…

 

ケツが痛くなってきた頃に益田についた。

時刻はだいたい午後7時。

上記の通り電車が遅れた影響で益田では即座に山口線山陰本線の連絡電車があったが、私はこれをトイレの為に見送ってしまった…

時刻表を見ると、次の電車は翌日であった。

※21時東萩行きに乗ると泊まる場所に難儀する可能性があった。

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益田駅前は本当に小規模な街で、大変寂しい思いをしたが、幸いポツンとある駅ビルに大阪王将が入っていて、助かった。

欧州に長く住む日本人は和食や中華料理の店を大変恋しがるらしいが、私はまさにその状態であった。

 

大阪王将の店内では、壮年の男が「あいつは女を知らんから、仕事もできんのや!」といきまいていた。

 

今日は疲れたので同じ駅ビルのホテルに泊まった。

このホテルはモーリスホテルという、小規模なチェーンホテルだが、洗濯機と乾燥機を回すのがタダで、大変良心的だった。

ぜひ益田にトラップされた際はお薦めしたい。

 

4)山陽へ、そして関西へ

益田→山口→新山口→下関→新山口→岩国→広島→新大阪→京都→(自宅)

夜のホテルで山口線と山陰線の二択を考えたが、山陰線のルートはただの苦行だったので除外した。

なにしろ特急列車の設定すらないホンモノの辺境なのだ。目の前は山口県境なので下関まであともうすぐのように思えるのだが、ジョルダンの時刻表を追いかけると5時間もかかることが発覚した。

一方山口線は7時の普通電車を逃すと次は11時なのだ。その次は夕方16時。そのかわり終点までそれほどかからない。

 

結局山口線の特急スーパーおき(9時益田発)で新山口までワープすることにした。

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この電車は振り子式?という珍しいタイプの電車らしいが私にはよくわからなかった。もうすぐ引退するらしいので、乗る価値はあったと思いたい。

新山口駅で懐かしの山陽ラインへ戻ってきた…

超大な列車、豊富なダイヤの設定、大勢の人間…山陰に居た日数はわずか2日間だったが、なんだか懐かしかった。

 

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下関では長年参拝したかった赤間神宮へと足を運んだ。

ここには平家物語関連の豊富な資料や平家の墓地があり、マジモノの壇ノ浦クライシスに想いを馳せることができる。

非常に良かったので、今回の旅行先の中では最もリコメンドしたい。

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下関の食堂で刺身定食をたべた。

関西ではありえない美味しさだった。

 

やたらと多い河豚プッシュ。

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下関から岩国までは18きっぷで移動したが、今日の朝のワープで心が敗北したようで、広島駅中でお好み焼きとビールを腹に入れ込んだ後、気が付いたら新大阪行きの新幹線の切符ともみじ饅頭のおみやげを手にぶらさげていた。

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新幹線で山陽道を爆走しつつ食べるもみじまんじゅうは美味しかった。

 

それにしても米子発ルートだったのにも関わらず、山陰本線は疲れた。

京都下関を走破するには18きっぱーレベル8(10段階)は必要だと思う。