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灰羽と街と壁について

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夏コミ予定本の表紙没絵追悼記念。

 

 ちょっとネットで検索してみたら灰羽連盟という作品は死後の世界を描いていると推測されているらしい。なるほど、「街は壁に囲われている」「灰羽は壁に近づいてはならない」「壁は死である(レキ談)」「いずれ灰羽は壁を越えていく」という設定を繋ぎ合わせると、そこには死者が一時的に訪れる休息の地という外郭がおぼろげにイメージできる。

 そこからさらに一歩進んで考察している人は、灰羽には若い人間しかいないので、きっとこの町は不幸にも早世した者たちの住処なのだろうと考えている。さらにラッカとレキの名はそれぞれ「落下する」「轢れる」を示していて、これはきっと自死した者たちに与えられる名前なのだろうと推理している。確かに彼女たちに付随しているけして払拭できない陰鬱さは、そのような後ろめたい過去に由来していると考えるとしっくりくる。

 

 この、壁に囲まれた箱庭的な街には捉えどころのないルールがあって、例えばトーガに話しかけてはいけない、触ってはいけないというしきたりがあるけど、これは物語の中でいくらでも破られているし、別段それに対する罰則があるわけではない。では一体なんのためにルールが存在するのか、という点は結局わからずじまいだ。一方壁の力は本物で、灰羽が壁に触れると超自然的な罰を受ける。街の中はある程度融通のきく快適な世界だが、壁は、頑として灰羽を受け付けない。唯一受け入れられる=壁の向こうにへと招待される瞬間は、灰羽が街で何かを成し得たときに初めて訪れる。

 結局のところ、この街で行われる営みは、私たちの住む厄介な現実社会の活動のトレースでしかなくて、灰羽たちは労働をしなければならないし、決められたルールに従わなければならないし、病気にもかかるし、ある日突然友人を失うこともある。しかし、この街に住む人は善良で、そこに現実の社会が抱える人間由来の非道は存在しない。なので、この街は人造的な慰労施設のような印象を受ける。

 

 ところで壁は多くの場合、抑圧と拒絶の象徴だ。ただ空間を隔てるためだけに構築された建築物は、その機能性だけが重視される。だから壁は往々にして無機質でのっぺりとしていて、人間的な営みを感じさせない。

 しかし、灰羽連盟における壁は少しばかり意味合いが違う。壁はいずれ「超えるもの」であって、人々を永遠に閉じ込めていく枷として存在しない。壁はいわば、灰羽たちに対する試練のために存在するように思う。そこに絶望的な抑圧と拒絶の意味合いはない。ここに、灰羽連盟の特殊性があるように私は思う。じゃあなんだといわれても、私はまだそこまで観ているわけではないので今日はここまで。