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石動乃絵に学ぶ夕暮れの風景

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 true tearsの季節が終わる。

 収集癖は一種の強迫観念というか病気のようなものだと僕が強く思ったのは漫画や小説に付いている帯を片っ端からゴミ箱に捨てるようになったときだ。人間の習慣はある種の下方硬直性を持っていて、途中からその習慣が無意味なものだとわかっても中々止めることができないどころかエスカレートする。初めは感銘を受けた帯(キャッチコピーが巧い、好きな作家の応援文が載っている)だけ選んで集めていたのが、途中からもう何でも保存するようになって、そしてついには帯は捨ててはいけないものだと考えるようになる。帯を残すことが極めて自然な行動となっているわけです。

 この問題の厄介な点は、一度習慣化した事象に対しては批判的な精神を持ちにくくなるといったことが挙げられる。自転車をバランスよく漕ぐことも、日本語の会話が行えることも、ブラインドタッチができるのも、それが完全に習慣化されたから自然に行えるだけで、別に私たちはどのように体のバランスをとれば自転車をうまく転がすことができるのか、どのようにすれば相手にうまく意志を伝えることができるのか、どのようにすれば順序正しく指を動かすことができるのかその都度考えているわけではない。しかし例えばより早く自転車を上手く乗りこなすにはどうすればいいか、より相手に伝わりやすいように会話文を組み立てるにはどうしたらいいか、より早くブラインドタッチを行うにはどうしたらよいか、という課題が発生した際には客観的批判精神を持つ必要がある。つまり、私達は普段の習慣を点検し、悪い点や不必要な箇所を省き、改善するべき点を修正し、良い点をさらに強化するといったプロセスを少しづつ、段階的に行う必要がある。しかし多くの場合その試みは失敗する。己の習慣を改善する作業は、多くの場合苦痛を伴うからだ。なぜなら、習慣をこれまで通り行うことのほうがひどく簡単だから。人からこっぴどく批評されるか、手ひどい事故を引き起こさないかぎり自然に行っていた習慣を鑑みることはなかなかできない。

 よく浪人生の成績は伸び悩むという噂があるが、あれは恐らく真実で、彼らが現役時代に培った受験に対する勉強方法や試験に対する物の考え方が実は悪手で、まずそれを改善する必要があるのに悪手を悪手と認識しないまま練習に励み結局成績は去年とおなじ、というプロセスを多くの人が経験する結果としてその噂が存在するのだと思う。

 私たちはこれまでの人生で多くの習慣を、ある場面では合理的選択の結果として、ある場面では嗜好的選択の結果として得てきたのだろうけど、やはり習慣の中身は自分自身で常にチェックし、修正していくことが大切なのだろうと思う。