アルファルドに学ぶアクション絵

f:id:Isurugi_Yoriharu:20150630223328j:plain

 吸血鬼に!吸血鬼になりたいんジャァ!

 

 最近は美少女が表紙を飾る漫画しか購入しなくなって久しい。僕はジャケ買いがあんまり好きじゃなくて、いや、好きじゃないというより、確かによさげなジャケを見つけた時には購買欲が上昇して沸点ギリギリに到達することもあるんだけど、表紙は頑張ればいくらでも着飾ることができることを10年間におよぶコミケ戦線で十分すぎるほど学んだので、踏みとどまって頭が醒めるまで待つことができる。大体小説など思い浮かべていただくとわかる。ジャケを頑張ってる本は世の中の本屋の本棚に腐るほど並んでいるが、世間で認められて毎年似たようなペースで捌けていくようなまともな小説は購買欲を高めるジャケをチョイスしていなかったりする。太宰や安吾漱石でもなんでもいい。一世代前のプロジェクト伊藤先生の通称ホワイト本なんて本当に真っ白だ。やる気あるのかといいたくなる。

 じゃあなんで漫画に関しては美少女が表紙を飾る本だけ買ってしまうかというと、もうこれは断言してもよいが、漫画は美少女がでてこないとニッチもサッチもいかなくなるからです。絵を描くとわかるが美少女を描くのはヘロヘロのおっさんを描くことの1000倍は面白い。一方小説に代表されるビジュアルに直接訴えかけない形態の作品の中で美少女をいくら描いたところでヘロヘロのおっさんの深い思慮を描くほうが1000倍面白い。これはコンテンツの性質上仕方のないことなのですな。ドストエフスキーの小説を全巻漫画化しろとその辺の漫画家に命令したら発狂死するであろう。というわけで世の中に出回ってる漫画には美少女がいっぱい描かれていて、それは名作でも例外ではなく、作品の中に美少女がいっぱいいるんだからせっかくだし表紙にも美少女を載せたくなるわけですな。