石動乃絵に学ぶシュールレアリスム

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はてなブログアクセス解析を眺めていたら、悲しい事実を発見してしまった。

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僕は梅田の地下街が昔から大好きで、働き始めた今でも、週末に暇ができると阪急電車で大阪へと足を運び、梅田駅の改札から出るとそのまま阪急三番街まで降りて、ホワイティやディアモール、そねちかや駅前ビル内、堂島地下センターを足がくたびれるまで歩き倒す習慣がある。

大迷路と悪名高き梅田の巨大地下街も、何年も、何百回も歩いていると、迷宮に点在する同じような佇まいの立ち食い串カツ屋の違いも、そこかしこにある靴修理屋の店舗数も、最近出来たとんかつ屋のことも、最近つぶれた北海道土産屋のことも、どの出口から地上に上ったらどこらへんに出るのかも、大体把握できるようになる。

コツは、大阪駅近辺の大道路の位置と、地下道とリンクしているビルの位置を大体把握してしまうこと(富国生命ビルと、大阪駅前ビルは基本だ)。大きな地下道は大きな道路の真下にしか作れないので、地上と地下の対応を理解してしまえば良い。

ところで、ここまで歩き続けていると、そのうち何人か一方的な顔なじみができてしまった。何時も、同じ位置に立って暇を持て余しているジャージ姿の高齢の男女が、梅田の地下街のそこかしこに存在することが分かってきた。

毎日毎日、梅田の地下街を絶え間なく流れる人の波を、ただひたすら見つめる人もいれば、心そこにあらずの表情で、ゆらゆらと揺れながら立ちつくす人もいる。

僕は、世の中はずっとよどみなく流れているものだなと漠然と思っていたのだけれど、実はこの世界には、澱のようにたまっていくものがあって、もちろんそれは人間も例外じゃなくて、絶え間なく流れる人の波の中にも、彼らのように、いつでも同じ場所にとどまっている人間がいるのだということを知った。

それはとても怖いことのようにも思えたし、頼もしいことのようにも感じた。