読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

最近、中学生時代に聴いていた音楽や、読んでいた漫画を押入れから引っ張り出してきて楽しむことが多くなった。

 

いま、20代後半より上の年代でオタク趣味をやっている人は、ほぼ例外なく暗い学生時代を送ってきた輩だと思う。というのも、僕らが中高生だった当時、アニメカルチャーはいわゆるアンダーグラウンドの人々のもので、深夜でひっそり放送を許される程度の本当にちっぽけな存在だった。それらの存在が、日本橋や、秋葉原や、あるいはディープなオタクたちが集まる2chやふたばなどのインターネットサイトから離れて宣伝されることは、社会のタブーとして禁止されていた。もちろん、そういうアングラ界隈に集まる連中は、きらびやかな学園生活あるいは社会生活から排斥された輩しかいなくて、僕らは気が付いたらそんな社会の隅、ヒエラルキーの底辺に位置するギークと化していた。

 

僕がオタク趣味に走ったのは、高校三年生のころだった。で、それまでは健全な学園生活を送っていたのかというとそんなことは全くなかった。聴く音楽といえば、King CrimsonPink FloydQueenXTCMetallica等中高生の音楽シーンでまったく人気のない連中のそれだったし、読む漫画といえばジャンプなどの王道少年誌に掲載されるようなそれではなく、ベルセルクや、浦沢直樹作品、高橋ツトム等、これもやはり中高生の人気を得ることはない作品ばかりだった。

 

当時、そういう音楽や漫画を楽しむ僕は「大人」で「賢い」存在だと思っていた。何の根拠もなく、そういう妄想を抱いていた。ようするに、僕が当時楽しんでいたそれらの作品は、僕が他人(同級生)より一歩ぬきんでていることを自分自身に暗示をかけるだけの麻薬みたいなものだった。当然そんなものに縋り付いている人間にまともな友達などできるわけもなく、僕は他人とまともに交わることのないまま大切な十代を消化しようとしていた。

 

僕の年代のヲタクは、偶然ヲタク文化に触れたからそうなったのではない。己の中に、他人を差別したがる自分本位の人格があらかじめ存在して、それがもたらす行動が他人との軋轢を生み、そして孤立し、アニメカルチャーという泥沼にみずから足を踏み入れる。そうなのだと思う。

 

自分にいいわけするわけではないが、人はみな自分を過大に評価する機能が初めから心に備わっている。その機能を、他人との健全な交流によって退化させることが、「大人になる」ということなのだろう。そしてそれは、できるだけ若い内に行わなければならない。

その儀式を拒絶した僕は永遠に大人になれないのだと思う。

 

僕は無意識のうちに、学生時代そのものを封印しようとした。18歳のころだ。それから、気が付いたら26歳になっていた。いつのころからか、妙な承認欲求や、優越思想が僕の心からすっかり抜け落ちてくれたように思う。そのかわり、プライドとか、情熱といったものも同時に失われてしまった気がする。

 

学生時代の僕は、申し分のない屑だったんだけど、学生時代の僕を屑たらしめていた考えをいろんな枝葉をくっ付けたままバッサリそぎ落としたら、やはり無気力の、屑な人間が出来上がってしまった。

 

18の僕は、子供の心のまま大人になった、醜悪ななにかだったんだけど、それでもなんとか「生きていた」のだと思う。多分、今の僕は「死んでしまった」のだろう。

 

そして今、僕の心の中にある子供への羨望が、過去の自分が封印したパンドラの箱を解いている。僕はいつまでこんなことを続ければいいのだろう?だが、子供になりきるというのは、実に楽しいのだ。やめることはできない