魑魅魍魎のインド

帰国直後、原因不明の高熱と下痢と吐き気に襲われ、肉体的にも精神的にも完全に死んでいたけどようやく復活の兆しが見え始めたのでブログを書くことにした。

 

訪問都市:

デリー→アーグラー→ワラナシ→デリー

日本人が良く行く道を素直に通った。

 

日程:

4/29~5/8

 

人数:

3→2→3→1

 

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〇デリー編:

中國東方航空でインド・インディラガンディー国際空港へ。

トータルフライト時間は9時間程度。

 

深夜到着でヘトヘトの中入国審査の長蛇の列を待つ。

やっと審査員の前までやってきてパスポートを渡したら審査員が隣の同僚に声をかけて僕の顔を指さして笑いだした。それ以外はとくに何事もなく審査終了、通過。

 

朝になるのを待ってデリー市街に出た。

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こんな感じで牛が大量にそのへんを歩いている。

あと野良犬、ヤギもうようよしていて、非常にスリルがある。

 

まあ牛や犬などは実は全然問題にならなくて、デリーで本当に参ったのは客引きである。曖昧な態度をとりつづけると延々とついてくる。

で一人の客引きインド人を躱すと間髪いれず次のインド人がやってきて、ホテルやら旅行会社に誘導しようとする。これをホテルに逃げ込むまで延々と繰り返した。

 

あと、デリーの駅前で道を聞くと取り敢えずタクシーに載せられてよくわからない旅行会社へと連れていかれた。旅行会社を断って駅に戻るようにいうとまた別の旅行会社へと連れていかれた。

 

デリー訪問わずか数時間でこの街が嫌になった。

 

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デリーのモスクは本格的でよかった。

 

〇アーグラー編:

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デリーから電車で3時間ほどの場所にある観光都市。

駅前の客引きがデリーより酷くて、公衆便所に4人ぐらいのタクシードライバーがついてきた。

このタクシーのおっさんの一人にとりこまれ、アーグラーにいた2日間ずっと高価な土産物屋巡礼に付き合わされるはめになった。

 

タージマハルのことはあまり覚えていない。逆に強烈に覚えていることといえば、1日目の夜、売春宿につれていこうとするタクシーのオッサンを振り切り、タージマハルの前の前の広がる旧市街に逃げ込んだら脱出できなくなって、自暴自棄気味にペットボドルを振り回しながら歩いていたら犬に吠えられ、十数メートル追いかけられ、その間偶然横にいた二人組のインド人の少女にゲラゲラ笑われたことだ。

 

※アーグラーの旧市街は本当に迷路みたいで、一度迷いこんだら土地勘のない人間は決して自力で脱出できなくなるので、注意したほうがいいです。

 

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タージマハルは細部にも意匠が凝らされ、異様な感じだった。

 

〇ワラナシ編:

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アーグラーからさらに400メートルほど東へと進めばヒンドゥー教の一大聖地がある。

ガンガーの川沿いに広がる街、ワラナシである。

この街もやはり客引きが酷かった。(個人的にはデリーより酷かった)

 

ここは今回、最も強烈に記憶に残った街で、なぜかというと結構な数の基地外に絡まれた。

 

①火葬場を見つけてしばらく人間が焼けるのを眺めていたらヤンキー風のインド人が隣についていきなりガイドを始めた。ノーマネーだよと確認の上で話を聞いていたら高台の上につれていかれそうになる。断固拒否したら、いきなり豹変して鬼の形相で怒鳴り始めた。多分この街からでていけ、クソ日本人!みたいなことを叫んでいたと思う。

怖かったので逃げるようにして川沿いの旧市街へと逃げ込んだ。

 

ここの旧市街も迷路めいた形になっていて、同じ場所に何度も何度もたどり着いてなかなか脱出できなかった。後ろからあの病的なインド人が追いかけてくるのではないかと思うと、気が変になりそうだった。

 

②やたらキレ気味の関西弁を使いたがる不良インド人の客引きに捕まる。

まさかインドで「なんでやねん!」「お前なんやねん!」をきくことになるとは思わなかった。

地球の歩き方にも掲載されているというシルク土産屋に連行されたが、店構えが明らかに普通の店じゃなくて入店を拒否したら殴りかからんばかりの形相で腕を捕まれる。

怖すぎたのでTシャツを1枚買って逃げた。

 

③裏路地のような旧市街でハッパ、ハッパと囁く太ったオッサンに腕を捕まれそうになる。空いてる手で自分の股間をもみしだいていて、これは本当に怖かった。

 

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街自体は素晴らしかった。日没のガンガーを船の上でゆったりしながら楽しむのは本当に良かった。

 

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この修行僧のオッサンに100ルピーほどお布施したら写真撮影サービスもしてくれた。

 

〇デリー(二回目):

帰国するためデリーへ。しかし深夜のフライト便が2時間delayしたことで睡魔に負け、乗り過ごした。

絶望的な気分で空港を出て、デリー市街にある中國東方航空の予約受付オフィスへ。

翌日の便で帰ることになったので美術館(写真撮影OK)と大統領府へ寄った。

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美術館は展示物が非常に豊富で、当然ながら客引きもいないのでかなり快適だった。

一日中時間を潰せる。

 

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結構な観光スポットになってた。

 

→次の便で無事帰国できた。

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学んだこと:

①できれば旅行先の空港内に窓口のある航空会社を使った方が良い。

インドの場合はエア・インディア。

チケット再発行の手間が全然違う。

②最後まで気を抜いてはいけない。

③積極的に話しかけてくる人はヤバイ。何か情報が欲しければこちらから誰かに尋ねること。

 

④GoogleMapはいつでも使えるようにしといたほうがいい。

ない場合は方位磁石。とにかく自分の位置や、向かうべき方角を少しでも知る手がかりがあるとかなり楽。

レキに学ぶ灰羽連盟

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 愛煙家で、若くて、声の低い女はアニメの世界においてはテキトーな人間であると私は固定観念を持っていて、これはひとえに苺ましまろというアニメで登場する女子短大生伊藤伸恵が、私の高校時代のオタクライフのシンボルであったことに由来します。

(余談だが、煙草を吸う声の低い女を最近のアニメ界隈でさっぱり見かけなくなった気がする。いたら紹介してほしい)

 ところで灰羽連盟を視聴済みの方はとっくに気が付いていると思いますがレキという人は根本的な部分でテキトーなところがなくて、たとえばオールドホームに新しい仲間が誕生すると聞いたときに大喜びして、率先して世話役を引き受けていたのはレキです。そういう人間性からみんなから信頼されているように見えるが、一方妙に暗い、つっけんどんな側面つまりウィークポイントがレキにはあって、これが後々の物語の方向性を決定することになっています。で、最後はレキがラッカにおんぶにだっこ状態になって灰羽連盟はめでたし、となる。

 ラッカがオールドホームにやってきたのは春で、楽しい夏をみんなで過ごした後に、秋になり、たぶんこの辺でクウが消え、冬になり、ラッカが罪憑きになり、暗い話が多くなり、そんな中でラッカが精神的に成長して、そして冬が終焉するころにレキがグリの街を旅立つことになる。一周四季がめぐって新しい春がやってきたときに丁度物語が閉じている。その間に、オールドホームの同志たちに頼り切りだったラッカが成長して、レキの心の闇を理解するようになり、受容し、そして最後はレキを助けることになる。灰羽連盟は世界観のディテールの部分に説明がほとんどなくて、一見よくわからない作品だけど、実は物語の骨組み自体は王道で、良い作品だと私は思う。

 この物語はレキとラッカがお互いに助け合う物語なわけですね。そこに人間同士の理想的な関係を垣間見ることができて、私は好きです。

岩倉玲音共和国その2

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 先日、大量の安倍吉俊の画集を読む機会に恵まれて、読み漁っていたら、安倍吉俊lainの造形になかなか苦労していたらしいことが分かった。というのも、ある画集にlainのプロトタイプと想像できる少女が数ページに渡って、ズバババと書きなぐられていたからです。

あのヘンテコなアシンメトリー・ヘアや、どことなくこの社会の存在ではないことを匂わせる雰囲気の少女は、それなりに考え抜かれた結果生み出されたキャラクターであったらしい。

 面白いのは、安倍吉俊が描けば描くほど「ほぉ~確かにこれはよりlainっぽいね」と思える方向に修正されていったことで、これは私がlainの最終形を知っているがゆえの誤解かもしれないが、キャラデザという作業は、よくわからないセンスやらインスピレーションでパッパと済んでしまうものではなくて、土台を固めて少しずつブラッシュアップしていく泥臭い作業なのだなと理解することができて、興味深かった。

 画集のそのほかの作品をみてみても、安倍吉俊の素描絵の中には、凄まじく良いものもあれば、なんだこれ?というたぐいの物もあって、才能溢れる人間も、作品を生み出すのには苦労しているんだろうなあということがおぼろげに分かって、いろいろ思うところがあった。

 まあでもとにかく第一に大切なのは何が何でも納得のいくまで描きまくることで、私はそれを、あの世に出ることの叶わなかったlainのプロトタイプ達、不出来なDuplication達によって理解することができた。

 エヴァQの中で、カヲル氏も言っていた。「納得のいく音が出るまで、鍵盤をたたき続けるんだよ」(多少、台詞は私の脳内で改変されてしまったかもしれない)

 

「模倣」

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 ふと思い立って、目に留まった作品の真似をしてみると、何気ないところに素晴らしい技巧が凝らされていたり、模倣しようにも再現できないほどうまく作りこまれている細部に気が付いたりする。

 模倣はいけないことなのだろうか?

 その動機にリスペクトが含まれていようがなかろうが、それはある人の軌跡を辿る行為そのものなので、そこには景色が存在し、険しい道があり、達成感が存在するように感じる。そして最終的には、それらは開拓者たる作者への敬意へと還っていく。

 敬意というものは思いのほか大事なもので、たとえば軽蔑から建設的な未来を引き出すことは期待できない。一方敬意は向上心の駆動源となる。

 

 この社会で暮らしていると、人々は他者を褒めないことに気が付く。

 先日ツイッターのタイムラインを眺めていたら、「素直に人を褒めると気分が楽になる」という意味のRTが流れてきた。なるほど、人を褒めたところで誰も悪い思いはしないし、そこからは自ずと敬意が芽生える。一方、悪いところを探すような穿った見方から敬意は生まれないし、それは結局自分自身の行動に制限をかけることになると感じる。

「観念」

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 供養を兼ねて表紙没絵をuploadします。

 

 先日、twitterをぼーっとみていたらAmazonGoのニュースが流れてきて、衝撃を受けた。

 なんで衝撃を受けたかというと、その話の前に枕としてパナソニックが開発した自動レジシステムの話題があって、これは要するにレジを無人化したということなのだが、AmazonGoではそもそもレジそのものを消滅させている。

 

www.nikkei.com

 私がそのとき見たのはNHKだったんだけど、すでにそのニュースが消滅しているので日経記事のほうを引用させていただきます。

AmazonGoはこの記事の最後のほうにちょろっと出てくる。

企業にとって人件費なんてないほうがいいに決まっているのに、しゃちょー殿が「フレンドリーな接客も必要」と言ってるのが厳しい。

 

おそらくパナソニックの技術者もローソンの偉い人もお店で物を買うのはかくあるべしって考えを持っていて、レジを消すなんて発想が想像の範囲外だったのだと思う。

一方アメリカ人はコンビニからレジを無くしてしまった。

 

私はこの話をみて、次のツイートがふと頭によぎった。

 

星新一の小説でそのような一節があったことは露ほども記憶にないのだが、とにかく「抽象的思考」とパナソニックの無人レジの話は妙に共鳴し合うように思う。

要するに、私たちは代金を支払って物をもらう場所に対してある観念を持っていて、その場所をお店と呼んでいるんだけど、この観念の枠内の具体的な作業を効率化する術や技術を持っているのがパナソニックの技術者で、お店という概念をぶち壊して再構築してしまったのがAmazonGoのエンジニアなのだと思う。

 

観念を破ることは容易ではない。というのも、言葉は私達の思考を強く規定していて、観念を破るということは言葉で縛られた思考から一度脱出する必要があるから。

 

月並みな疑問だが、AmazonGoのエンジニアとパナソニックの技術者は一体何が違うのだろう。

 

ところで、ほろびゆく日本語、という観点からはこの人が面白い記事を書いている。

脱線するがこの人の記事はどれも面白いのでみなさんにも是非読んでもらいたい。

gamayauber1001.wordpress.com

本当はもっと当記事にフィットする話があったのだけれど、どこにあるのかわからなくなってしまった。

 

この人の話を真と仮定するなら、単一民族の衰退とともに色褪せてゆく日本語と、様々な文化背景を持った人々が流入しつづける英語の世界では、どちらの将来が明るいかは、目に見えているように思える。

コミケ(C91)_serial experiments lain合同本_サークル参加告知

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twitterではさんざん告知したけどブログでも改めてお知らせします。

 

C91金曜日(12/30)東地区Q41aに私のサークルが出店します。

サークル名:東西珈琲部

新刊:WELCOME/TO/WIRED! - serial experiments lain合同感想本

執筆者6名、64P

 

なかなか読み応えのある本に出来上がったとおもうのでlainファンの方、lainを知りたい方、ぜひとも当サークルにお越しください!

 

※ちなみになぜ今更広告をがんばっているかというと、ついさっきみた当サークルのカタロムになんにも情報が掲載されておらず、箸にも棒にもかからない状態なことを知ったからです。どうやら申込時の登録に漏れがあったらしい。

 

lainの本が欲しい人の元になるべく情報を届けたいと思いますのでよろしくお願いします!

 

参考:サークル詳細

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2017/4/5追記:

現在COMIC ZIN様にて同人誌の取り扱いをしております!

興味のある方は是非ともご購入いただきたく。よろしくお願いします。

 

不出来なデューク

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 ブログを更新していないな、と思ったので義務感に駆られてブログを書きにきました。

※以下lainの話題ではないです。

 

 文化は迫害されるうちが花、なのかもしれないなと思った。オタクが迫害されていた2000年台前半には既に心身ともにオタクとなっていた高校生の私は本当に辛い時代を過ごしたのだけれど、今でも頻繁に思い返すのはその頃に視聴していた作品達である。たとえば04年には撲殺天使ドクロちゃんという、ある種の先天的な機能障害を持つ人間達をターゲットに絞ったとしかおもえない本当に酷いギャグアニメがあって、私はそれが大好きだった。今にして思えば、あのアニメは商売根性逞しくして作られた作品では決してない。当たればラッキー程度にしか考えていなかったんだけれど、その代わりナード的感性を包み隠さずに投入されたザ・オタク作品だったのだろう。

 一部の人間にしかウケない作品がいい、と言っているのではないです。迫害されるうちは人気がないから、変に権威というものが育っていない。オタクがオタクを楽しませようとしている。その雰囲気が私はいいと思う。

 迫害されたオタク達は、喧嘩するということがそれほどなかった気がする。なんせ迫害されているのだから、仲間同士でいがみ合っていても自分達が苦しくなるだけなので。

 しかし2006年ぐらいから、迫害されるオタクという構造が崩壊しはじめて、なぜだかわからないけどオタク文化は徐々に世間に受け入れられ、今では、特に若い世代は殆どオタク文化に抵抗を持っていない。きみの名は。という邦画を観に行った人ならわかると思うんですが、梅田のHEP5や難波の千日前を縄張りにしてそうなヤンキーなお兄さんお姉さん、イケイケなリア充系高校生が当たり前のように劇場に足を運んでいます。

 彼らの流入が許せないわけでもない。やはり文化は大勢の人間で楽しんだほうが絶対に良い。

 じゃあなにがだめかというと、アニメ界隈の人間が増えた結果、オタクの中にもいろんな分派が現れてきて、すごく些細な感性の違いを発端としてお互いがお互いを殴る世界ができてしまったこと。

 原初キリスト教ローマ帝国の国教となり、西欧社会の文化と融合して大勢の人に受け入れられていくうちに教会の東西分裂や権威の象徴であるローマ教皇が発生した史実が物語るように、ある共同体の人口が増えればそれだけややこしいいがみ合いが発生する。

 人間には似ている2つの存在の些細な違いをついつい気にしてしまう性質がある。そしてある場合には、些細な違いを過大に評価してしまって、それが喧嘩の元になってしまう。そこに権威の論理や数の暴力が加われば、物事はより一層ひどい方向に進んでしまう。

 こういう争いはあらゆるところに存在して、多くの場合は解決されずに膠着状態に陥って、にっちもさっちもいかなくなってしまう。

 オタクが迫害されていた時代にはもう戻らない。もちろん迫害は大変悪いことなので、ないに越したことはないし、今のように堂々とガールズアンドパンツァーのあんこうさんチームTシャツを着て大洗に出かけられる世の中のほうがいいに決まっている。

 だけれど、迫害されていた当のオタクが、昔を懐かしんでしまう程度には、あのころのアニメには活力があったのです。