今川焼き安藤愛子に学ぶブレザー

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グレースケール

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 安藤愛子(以下愛ちゃん)のことは予選敗退した女としか認識していなくてあんまり思い入れが無かったため、本投稿を行うにあたりtruetearsを見返したところ、愛ちゃんと三代吉の関係に修復不可能な亀裂が走った重要シーンと同じ回に湯浅比呂美の「私のほうが誕生日遅いから…」宣言が入っていることを思い出して、まあそりゃあ愛ちゃんのことは僕含めて誰も覚えてるわけねえよな、と思った。6話終盤に始まるこの場面は明らかにtruetears屈指の名シーンで、読者への揺さぶり方も完璧で、石動乃絵派を自負する私も月明りに照らされる湯浅比呂美の姿にはドキっとしたし、湯浅比呂美の圧倒的攻勢の前に一発KOで敗退した愛ちゃんの不憫さに同情を禁じ得なかった。ここから怒涛の湯浅比呂美vs石動乃絵の一騎打ちが始まるのである。

 話が脱線してしまった。愛ちゃんはここぞという所で失策を犯してしまうタイプであるが世の中の大抵の人間はあのぐらい優柔不断で愚かだと思う。明らかに後から嘘とバレるような嘘をついつい吐いてしまうし、自分には恋人がいるにも関わらず過去の思いにずっと引きずられていて、しかもその大切な自分の気持ちをストレートに相手に伝えることができず、かつ自分には本命のライバルがいることを認識できないまま物語中盤で敗退してしまうのだから。これはもうアニメのヒロインというより我々モブ側の人間に近いのだが、そのあたりの等身大の”人間”を演出している女性は本作のメイン登場人物の中では彼女ぐらいだから、一部のマイノリティは彼女を熱烈に応援してしまうのだろう(それはアキバの地下アイドル応援と同じタイプの熱狂だと思う)。ところで湯浅比呂美はうっかりしているように見えるが、彼女はとても狡猾で計画的な人間であると私は確信している。理由を明瞭に言語化することができないのだけれど、truetearsを何度も見返している皆さんはお分かりになってくれるだろうと信じている。

カナンに学ぶtiny breasts

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 CANAANは2クールで放送して欲しかったな、と今になって思う。というのもこの作品にはポテンシャルがあったのだと感じたからだ。奈須きのこ氏のDDDを思わせる奇怪な世界観と能力をもった登場人物、広大な大陸を舞台にした物語、武内崇を原案に起用したキャラクターデザインというのは何だか魅力的だし、しかも一話冒頭は異国情緒溢れる雰囲気で「これはちょっと今までのアニメとは違うぞ?」といういい良い感じの掴みだったのだ。それこそ、007のように、イスタンブールやモスクワで銃撃戦を始めたり、マカオで賭博勝負を始めたりすれば面白かったのではないだろうか。ところが現実のCANAANは、いわゆる日本の学園モノ作品のように狭い小世界の中で物語が閉じてしまって、かつポエム語りとバトルしかしてなくてアレは良くなかったなと思う。一例をあげると、色んな場所でカナンとアルファルドは戦ったりしたわけだけど、どういう場合も2人が居れば物語が収束してしまったわけで、具体的にいうとアルファルドはそれなりにでかい犯罪組織の現役の首領だったのにも関わらずそのステータスを生かすシーンが全然無くてソロで頑張って戦い通したのがダメだった。

 でなんでそうなったかというとこれは1クールの中であの濃い世界観を持った作品を描く為にいろんな枝葉を取り去ってコンパクトにしようとした結果だと思う。物語をコンパクトにしたいとき、登場人物を絞ったりポエムで話自体を煙に巻いて単純化してしまう方向に走るのは自然だ。

 まあこの辺りは以前言及したように、当時のPAワークスのダメさ加減が発揮されてしまったわけなんだけど、作品の放送期間を決める偉い人が2クール放送を決断していればあのようなポエムを前面に押し出す展開はなかったんじゃないか、と思う。色々惜しい作品だったと思います。繰り返して言いますがこれはこれで僕は好きだけど。

 

 

石動乃絵 in Thailand(2)

 バンコク二日目。

 丁子の匂いは居変わらず部屋に張り付いたままだった。取り敢えず荷物を詰め込んで、カウンターに行ってチェックアウトをしようとしたらやたらと時間がかかった(だいたい10分ぐらい。)このとき受付のにーちゃんがどこかに電話していたので、恐らく泊まっていた部屋の中を検められていたのではないかと思う。色々汚さなくてよかった。

 

 通りに出ると初めてのバンコクの朝を体験した。日本の朝と違って、とても皆ゆっくりしていた。太陽はすっかり日本の夏日の様相で、ちょっと歩くたびに汗が噴き出して水を補給したくなった。

 

 昨日の深夜に乗ったタクシーのオッサンに遠回りルートを連れまわされたのでその時に王宮や寺院の位置を確認することができて、今日はそこに行ってみようと思いカオサン通りから王宮を目指した。

・・・のだけれど道に迷ってしまい途中で見つけたよくわからない広場やら博物館に入って時間を潰した。博物館の中は信じられないぐらい仏像ばかりだった。

ここらへんで気が付き始めたのだが、バンコクの人々はゴリゴリのBuddhistである。大通りには至る所に仏教のモニュメントが立ち並び、寺院もそこら中にある。そしてモニュメントでは必ず一人は炎天下の中で熱心に拝んでいる。線香のにおいも至る所で嗅ぐことができた。こういう雰囲気は心地よかった。

 

 王宮の周りは旧市街と呼ばれるエリアらしくて、見るからにビンボーな人々が屋台で飯を食ったり昼寝したりしていた。客引きはとにかく多くて、だいたい5分に1回は誰かに話しかけられた(大半はタクシーかトゥクトゥクの運転手)。日本人は海外では大体チャイニーズに勘違いされるものらしいけど、僕の場合はたいてい日本語か英語で話しかけられた(チャイナ語で対応されたのは空港内だけ)。タイ人のようなアジア系には、例えば日本人とチャイニーズの外見上の些細な違いが見分けられるものなのかもしれない。

 

 結局王宮を見つけることができず、ヘロヘロになったのでタクシーで新市街(Chit Lom)へ向かうことにした。このタクシーも信じられない遠回りルートをチョイスしてきて、この国のタクシーに乗るのがすでに嫌になり始めた。

 

 新市街は旧市街と比べると恐ろしく発展していて、日本で例えるなら新今宮駅前と大阪駅前ぐらいの差があった。デパートの入り口には必ず検問があって、観光客と身なりのよさそうな現地人だけを選別して中へ人を入れているように見えた。

デパートは基本的に日本のと同じ清潔さが保たれていた。ただ奇妙なことに、たとえば飲食店のとなりに服屋や携帯電話のストア、電化製品店、ゲーマー用ネットカフェが立ち並んでいて、なんだかちぐはぐな、奇妙な感じだった。

あと旧市街のほうはとにかく白人が多かったけどこちらではアジア系の客が多かった。客の雰囲気とかも日本のそれで、なので日本にいるのとあんまり変わらない心地よさがあって、これはいかんな~と感じた。

デパートの中で中華料理店に入った。味はとにかく辛くて、生の唐辛子をそのまま材料として使っていた。あとタイ米が不味くてつらかった。飲み物が甘いのもいただけなかった。

 

 この地域のホテルは高いらしいのでRatchathewiまで移動した。

なんだけど結局昔ながらの高級感が漂うホテル(日本のホテルメトロポリタンみたいな感じ)にチェックインした。ここでのカウンターの応対はなかなか苦労した。ただ2日程度泊まりたいという要求をしているだけなのになんかいろいろ言われて結局ダブルベッドのある部屋に通された。取り敢えず冷蔵庫の中に入っていたビールを飲もうと思ったら栓抜きがなくて、次に浴槽を使おうと思ったら浴槽の詮がぶっ壊れていた。もしかしたら先のカウンターマンはこのことを伝えたかったのかもしれない。

 

 車がひっきりなしに走る大通りの屋台で晩飯を食った。排気ガスが充満している中で食事をするのはなかなか風情があると思ったからだ。屋台といっても大体70人ぐらいは収容できる大規模なところで、大勢の現地人が食事をしていただけあって良かった。さっきまずいと愚痴をこぼしたタイ米も、チャーハンにするとかなりおいしくなることがわかった。あとネムの木の葉やらレモングラスやらよくわからん木の根やらが入った魚のスープが、いい感じにエスニックしてて滅茶苦茶おいしかった。

 屋台では色々面白いことがあった。まず乞食が物乞いをしにやってくる。片足を膝から無くした老人、何かよくわからないオーディオを背負って歌を歌っている青年と老婆のペア、体のどこが悪いのかよくわからないオッサン。10分おきぐらいにやってきて、この国には社会保障がろくに無いのだろうか、と想像した。

 シンハ―・ビールを何本か飲んでベロベロでいい気持になっていたら、厨房から痩せた猫が出てきた。この猫は常に痙攣していて、首を上下にユラユラ動かしていた。明らかに神経系統に疾患がある様相で、これはかなり怖かった。暫く客の足元を行ったり来たりしていた猫は、さりげなく店員に担がれて厨房へと戻っていった。

 

 ホテルの部屋に戻った。クーラーを消して寝ようとおもったらそもそもクーラーのスイッチがなくて、部屋に入ると勝手に冷房がかかる仕様になっているらしい。おかげで南国にいるにもかかわらず寒い一夜を過ごすことになった。

 

 なんかあんまり現地の人の話をできなかったから次はそっちにもっとフォーカスしてこの記事のつづきを書こうと思います。

石動乃絵 in Thailand

ゴールデンウィーク中に石動乃絵はタイ王国へ行ってきたのでレポするね!(初日)

 

・香港空港経由、8時間かけてバンコクへ。香港空港に到着すると、霧の向こうに皆同じ高さ同じ格好の高層ビルが整然と並んでいて、計画経済っぽいな~さすが中国と感心する。そうしているうちにさっそくスマホをLostする。盗られたか、なくしたか定かではないけれど海外の洗礼を浴びた気分に陥る。取り敢えず初めて海外に来たのでクレジットカードでATMからお金をおろせるか試してみたが謎のエラーを吐くだけで埒が明かない。ろくに現金を持ってきていないのに。この辺ですでに泣きそうになる。

 

バンコク行き飛行機搭乗。席がよくわからなくてキョロキョロしてたら隣の中華系のオッサンが航空券見せろという。見せたら席を教えてくれた。日本では体験できない親切に感動する。

 

バンコク国際空港(スワンナプーム)到着。じんわりと熱い。トイレの便器の形とか、通路の様子とかびみょ~に日本の常識に則って作られていなくて面白かった。携帯電話の回線を止めるためにネカフェに入るが、英語がろくに聞き取れないためカウンターで揉める。カウンターのお姉さんが心底バカにしたような顔をするが不思議と不快感は無かった。タイのネカフェには電話が置いてあるのだけれどこれがろくに繋がらない。隣でポーランド人のオッサンが電話つながらないせいでキレていた。

 

・空港から電車に乗ってバンコク市街地へ。電車を降りた途端、蒸し暑い空気に押しつぶされそうになった。とりあえず改札外に出ると、その辺に酒瓶が転がっていて南国っぽい植物が大量に生えていて電柱から垂れている電線が絡まったスパゲティみたいで本格的に海外の息吹を感じた。不良の若者達がバイクをふかしているそばを通り過ぎる。コワイ。取り敢えずタクシーを拾ってホテルがある通りまで行こうとすると、タクシーのオッサンがかなり不良系で行き先を告げるとなぜかキレられた。あとで知ったのだけれど、どうやらタイ語はイントネーションが死ぬほど重要で、抑揚が間違っていたら別の意味の単語になるので全く通じなくなるらしい。日本語ではない全く別の言語体系の洗礼。

 

・ホテルに泊まるためカオサン通りという有名なバックパッカー街に行った。市街地の中だというのに、信じられないほど大音量の爆音が通りに並んでいるディスコ、バーの中から聞こえてくる。大量の白人がそこら辺を歩いていている。そのほか、現地人、中国人、インド人、片足を無くしたオッサン、乞食がぐちゃぐちゃに混じり合って通りを歩いている。初めはビビったが、しばらくふらついていると、日本よりずっと歩きやすいな、と思った。誰も焦っていないし、周りのことをちゃんと見ている。スマホを歩きながら操作している人間はいない。そういうことを思っていると白人の男と肩をぶつけた。Sorryという一言が聞こえる。海外の人間はなかなか謝らないと日本ではさんざんきかされたのに。次にかかとに靴をぶつけられた。振り返ると190cmの黒人の男が立っていてこの男もSorryと発音した。

 

・ホテルが一向に見つからないのでその辺の現地人に訪ねてみたら一応指を挿してくれて場所を教えてくれる。けどその先には全然見つからなくて別の人にきいてみると全く別の方向を指さす。それを5回ぐらい繰りかえして、なんだかこの状況はフランツ・カフカの小説にありそうだな、と思ってちょっと楽しかった。取り敢えずバーに入ってご飯(タイ米チャーハンとトムヤムクン)とビールを注文した。滅茶苦茶パクチーの味がした。ビールは薄いけど美味しかった。熱帯の地域ではこのぐらいの濃度がちょうどいいのかもしれない。白人が楽しそうに騒いでる姿を見ながら休憩した。食事後、通りで見つけたセブンイレブンに寄ったらATMがあってので試しに使ってみたら無事お金をおろすことができてほっとする。コンビニから出た後は、諦めて通りを歩いている最中で見つけたホテルで一泊過ごすことにしようと思い立つ。ホテルのカウンターは女のひとだった。仏に拝むようなポーズで両手を合わせて挨拶してくれた。どうやらタイではこれがオーソドックスなスタイルらしい。これは一度タイで本物のしぐさを見ていただきたいのだが、はっきり言ってクソ萌えます。

 

・ホテルの一室は丁子のにおいであふれていた。浴室のドアは滅茶苦茶重たくて、鍵がぶっ壊れていた。シャワーを浴びている最中に水を口に含んでみたが、なんだか鉄っぽい妙な味がした。なぜか浴室と寝室内がフラットに地続きで、水を出しっぱなしにしていると寝室まで水浸しになってしまいそうで不安だった。ベッドに寝転がると死ぬほど疲れていることにようやく気が付いた。

 

2日目以降は後日。

WatchMeをインストールされたハーモニーおじさんの健康的な肉体

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※以下ハーモニーのネタバレがあります

 

 生命第一主義の社会に反発するため自らの命との決別を試みた御冷ミャハと霧慧トァンの二人の少女の人生は、生死の境界からの帰還後それぞれ全く異なる方向へ大きく舵を切ることとなる。御冷ミャハはWatchMeを用いて世界中の人間の命を人質に取り、人々の生きる社会に対する真の反逆者へと堕落したが、一方その頃、霧慧トァンは生命主義に表向きは順応し、裏では姑息かつ矮小な形で反抗を行っていた。面白いのは、霧慧トァンはその生き方を「御冷ミャハが生きていたら辿っていたであろう道をただなぞるだけの、ドッペルゲンガーのような人生」と評していて、彼女は御冷ミャハのことをそれほど良く理解しているわけではなかった点である。ただ彼女は自分の知っている御冷ミャハの亡霊に縛り続けられ、おとなのからだのまま精神的ルサンチマンとなり、戦場で”破廉恥”な行為を行い続けていた。

 霧慧トァンの凡人性はどこか私たちの心をくすぐるものがある。カリスマの美少女に見染められ、己の生きる道を気付かぬうちに彼女に縛られ、多少は賢くなったけど根本的に救いようのない人生を生きていて、勇気は持ったけどそれを善の道に使うことができない。だけれど、御冷ミャハにかつての親友を殺されたことに対する怒りが、彼女に世界を救う勇気を持たせることになる。ハーモニーが多くの人々の心をつかんだのはそのあたりではないだろうか、とふと思った。

 ところで人の心は早々変わらないものである。多くの人々の命を一瞬で奪うテロ行為に対して超然としていた御冷ミャハの心はカフカースの大地でロシア軍の慰みものになっていた頃から何も変わっておらず、はじめから殺人に対して抵抗がない人間だったのだろう。だからこそ親友に対して自死を勧めることができた。

 霧慧トァンは最後に呪いを振り払うことができたのだろうか?

 私は、彼女は物語の最後まで亡霊に取りつかれていたのだと思う。そちらのほうが救いようがなくて、私好みだからだ。

石動乃絵に学ぶグリザイユ画法その3ぐらい

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こっちはグレースケール

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 「乃絵は天使」という主張は僕は好きではない。
 石動乃絵の素晴らしい点は「自分に肯定的」「人を嫌ったりする感情が希薄」「他人の視線を全く気にしない」所で、これは他者に長年抑圧されてきたせいで自分自身に全く素直になれず、言葉をストレートに相手に伝えることのできない比呂美とは対照的である。要するに乃絵は他人のことはどうでもいいわけで、その性質は天使のイメージから大きく乖離しているように思える。
 石動乃絵はトリッキーで浮世離れしているように見えて独り立ちすることのできる人格だから、実は恋敵に破れるライバル役としては適役である。(この点は「心が叫びたがってるんだ。」に登場する成瀬順と大きく異なっていることに留意したい。だからこそ成瀬順は最後に恋が成就する必要があった。)
 石動乃絵は誰かを幸せにするために行動しているわけではないし、私達視聴者に対して理想的な女性像を提供する存在でもない。だから、彼女に対して天使という単語を当てはめるのはひどく違和感を覚える。

 

 みなさんも、そろそろ湯浅比呂美よりも石動乃絵のほうが素晴らしいと思い始めませんか?

湯浅比呂美に学ぶグリザイユ画法

 

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こっちはグレースケール

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僕は湯浅比呂美を憎んでいるのだけれど、バスケをしている比呂美だけは本当に好きなんだ…

 

 かわいらしいヒヨコを模って作ったスイートポテトの生地をオーブンで加熱してみたらみるも無残なヒヨコの焼死体が出来上がってしまい笑いを誘うツイートをみて、これは人の才能の本質を示す良エピソードだなと思った。かわいらしいヒヨコ型の焼き菓子をつくりたい場合、生地の過熱による見た目、味、食感、容積の変化を正確に予測しなければならないことは考えれば当たり前の話なのだけれど私たちはこの当たり前の事実を多くの場合忘却してしまう。
 基本的にMakingやActionと呼ぶことのできる人々の殆どすべての活動の質の向上にこの予測は必要不可欠なスキルだ。それは絵を描くことにしても小説を書くことにしても水泳にしても演劇にしても医療にしても会社で書類を作成することにしてもあらゆる場面で必要だ。
 頭の中で展開される作業の結果と実際に手や体を動かして得られる成果の間には大きな断絶が存在する。特にその道の初心者の場合それは致命的なレベルの隔たりで、私たちはこの隔たりを少しずつ狭めることによって自分の思い通りのMakingあるいはActionを得ることができる。
 ここで大切な点は初心者である間は隔たりを簡単に狭めることができるのだけれど、頭の中の現実と実際の現実の差分が小さくなってきてから隔たりは簡単に狭められなくなる。これはちょうど物差しで正確に10cmの長さを測ろうとするとき、1cmのレベルのずれから0.5cmのずれのレベルまで補正することは至極簡単な話なのに0.1mmから0.01mmのずれを補正することは非常に難儀する事実に似ていて、この断裂を超えるには誤差を低減させるためのモデルを現実に即した形で構築して理論的に攻める方法をとる必要がある。
 ただ、幸か不幸か、現実は僕たちが考えているよりは間違いなくずっと複雑なので、このような単純な課題に対してすら色んな局所解が殆ど無限に存在するのだと思う。そういう意味で、最も大切な考えは現実を曲解せずに素直に、謙虚に客観視しつづける視点なのだろう。